「二階堂ふみの才能が溢れ出す映画だった。一番女盛りなのに、男も知らず死んでいくのかと思う主人公の焦りと不安と虚しさと。あと、ラストシーンが意外な形でびっくり。」
谷崎潤一郎賞に輝いた高井有一の同名小説を長谷川博己&二階堂ふみ主演で映画化したヒューマンドラマ。第二次世界大戦終戦間近の東京を舞台に、19歳の少女と妻子を疎開させた中年男性との禁断の関係を描き出す。脚本家として数々の名作を送り出してきた荒木晴彦の『身も心も』以来18年ぶりの監督第2作となる。-movie walker -
この国の空 を観た人の感想、評価、口コミ
佃煮食べてるだけで、この国の空を思い出す…
この国の空を見てきた。戦争のさなかの恋愛物語。二階堂ふみの全裸(後ろ姿)が若々しくて生々しかった。一見純情そうに見えて、秘めた強さと変態性みたいなものがじわじわ出てるのがすごくよかったー。トマトのシーンがよい。あと、やっぱり長谷川さんもうイケメンに見れない。変人。
荒井晴彦 監督「この国の空」のなかの工藤夕貴さんが素晴らしかったのだけど、それは、戦時下、未亡人であり母親である彼女が、自分より年下の既婚者、長谷川博己さんに恋することなどあり得ない、という、娘の二階堂ふみさん以上の制約を感じさせるからかもしれない(穿った見方かもだけど)。
『この国の空』。昭和20年、終戦直前の東京杉並、庶民から見た戦時下。茨木のり子さんの詩にかけて、一番きれいな時にこのまま死んでゆくのかという主人公と、隣人の妻子ある男。美しい言葉と湿った空気、絶妙な配役。二階堂ふみちゃん、凄い。
「この国の空」を観てきました。ラストシーンで、二階堂ふみの大アップを背景に、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」の朗読が流れます。日本映画は、二階堂ふみという俳優に出逢い、救われているのだと、思う。
最近戦後70年ということで戦争にまつわる映画を観ています 「この国の空」と以前に上映になった「小さなおうち」です この両者とも原作を読んでいるのですが細部を忘れてしまっているので 映画を観て思い出しました
「この国の空」の映画でエンドロールで二階堂ふみさんが朗読している詩があります。茨城のり子さんの詩です少し抜粋します。 わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争に負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町わのし歩いた
この国の空を映画芸術が推しているのか…複雑な気持ちになるな。
「この国の空」トマト大好き人間としては、「暗喩とはいえ、あんなに熟れたトマトをなったままにしているなんて!」という驚愕。 トマトは朝晩見て、熟れていたらすぐ摘まないと。すぐ弾けるぞ!勿体無い!
「この国の空」二階堂ふみは肝の座った役者やなあ。そして工藤夕貴と冨田靖子という贅沢なキャスティング。女達の生々しさが半端ない。川のシーンときたら…。 長谷川博己は線が細すぎるかな。爽やかやから、嫌らしさや卑怯な感じが出にくいんかと。
「この国の空」のDVDほしい。 まだ、福岡は上映さえされてないけど…
この国の空(テアトル新宿)いちいち「惜しい」感が目立つ映画でした。二階堂ふみはどんなアップにも堪える人で、今回もスクリーンで観て良かったと思いますが、原節子みたいなセリフ回しは違和感有り。激すると現代の若者口調になるのが惜しい‥。工藤夕貴は綺麗すぎて主人公の母親に見えない
この国の空ね、徹子の部屋でも戦争映画って紹介されたと思うんだけど、見終わって私が思うのは、あれは全然戦争映画じゃなかった。何かのジャンルに入れるとしたら一種の青春映画。原作の方はどうかしらないけどね。主人公は里子ただ一人。終戦間際から8/15までが背景にはなってるけどね。
映画のふみちゃんは美しかった。。舞台挨拶は照明暗くて後ろの席だったから顔が全く見えなかった…(T^T) 『この国の空』
『この国の空』初日舞台挨拶@テアトル新宿♪ズームするラストショットからのあの詩のわずかな時間、、それまで積み重ねてきたものが一瞬で崩れ落ちるもうひとつの熾烈な戦争が頭の中で鮮明に浮かんできて、なんて残酷な…と思わずにはいられなかった。
きょうはテアトルで「この国の空」見てきた。戦争の映画だけどこないだの「野火」とは全然ちがって死体も血も出てこない。。ふみちゃん可愛すぎた◎
この国の空は目を閉じてみてもいいかもと思うくらい音が美しい。静かに緩やかに流れる言葉たち。背景の音楽や雨の音や遠雷のような音。時折激しく大きな音が響くがまた静かな日常に戻る。想像させる映画だからなおさらかもしれない。映画館ではもったいないからDVDでやってみたい。
いやあ。この国の空。名作。はよDVD出してくれんかしら。でもまだ劇場で大画面で観たい。というか、まだやってない地域でガンガンやってくれ。気持ちの中の、心の戦争映画です。
この国の空 とんでもないラストカットよ
この国の空、昨日見に行った。 里子の大人びた表情見たときゾクッとした。市毛さんとトマトの組み合わせずっこかったし。艶っぽかった。あとは…言葉遣いが凄く好き。
「この国の空」母親が里子に市毛を「お送りしたら」と言った後。母親と叔母は一瞬見つめ合い、目をそらす。あの後の二人の会話も聞いてみたい。
この国の空のキャストのとこHPもパンフにも役名がなかった。何か意味があるのかな。よくあることなのかな。もしかすると歴史に名を残さない、名も無き人々の物語という意味があるのかな。考えすぎか。
『この国の空』無自覚なうちに男にロックオンする女の本能と、確信的にそれをけしかける女親の打算、最初から最後までズルい男の弱さ。できれば隠しておきたいことが表に出てしまう。戦争の悲惨さとかは描かれないけど、こういう怖さもあるんだな。なんか物凄い緊張感にずっとドキドキしてた。◎
『この国の空』少女から大人の女になるいちばん美しい時を見事に切り取った映画。戦時中の空気に抑圧され、女として一番多感な時期にそばにいたのは妻子持ちの男。駄目だと解ってても男に溺れてゆく匂い立つようなエロさを見事に好演してる二階堂ふみ。脇を固める工藤×富田コンビも◎。
『この国の空』を観た。はっきり言おう。二階堂ふみの一糸纏わぬ姿が見れる。これは嘘ではない。戦時中を舞台にしたアイドル映画でもある。「私が一番きれいだったとき」という詩の朗読が沁みるエンドロール。戦争にも行かず、妻子は疎開中の独身生活、隣の家には二階堂ふみって長谷川さん羨ましすぎ。
『この国の空』をみたけど素晴らしく良かった…切ない…
『この国の空』鑑賞。静かな戦争映画の佇まいとして、空襲の音、噂で市井の人の戦争を描くのはいいし、その中での悲恋いい、のだけど、荒井先生の語り口としてやっぱりワンシーンが漏れなく長くて長くて、鈍重で、言葉は悪いけども、退屈…。
この国の空、見てきた。女くさいふみちゃんにいい意味でぞっとした。震災と戦争はまったく別だけど、ああやって生き地獄のようなものは一緒だよな。震災後家がなくなったうちの両親を文句言わず住まわせてくれたいとこに感謝だな。戦争時代は各家庭がとにかく生きるのに必死でそんな余裕ないんだよね
映画「この国の空」を観てきました。ヴァイオリニスト柴田奈穂さん演奏による美しいメロディーが映画の情景を強く記憶に刻みつけてくれる。そんな良い映画でした。
『この国の空』 市毛の白のスリーピース姿が美しかった 女房子供がいようとも関係あれへんと思わせる艶やかさでした 私が里子ならですが笑 長谷川さんファンにはたまらない作品になったと思います 当分これで生きていけそう!
『この国の空』 何より長谷川氏のエロさはある意味爆弾でした 生娘にあの特濃キスをかます容赦ない市毛 いやぁ悪すぎる男ですよ 『君を想う気持ちに妻子が入る隙は無い』と伝えた市毛は素晴らしく紳士な遊び人一流の遊び人とは目の前の女に全力で情熱をかけれる男だよ 一瞬刹那だけどそれが最重要
『この国の空』 こんな時代だった時こそ、こういう文化的な話もあったという視点がとても良かった 荒廃した土地の向こうに見えた真っ青な海がこの映画の象徴の様に感じた トマトに自分を投影し今すぐ食べてと市毛に詰め寄る里子の切実感も良かった 焦燥感が良い意味でとても淫靡 楽しめた!
この国の空の里子と市毛に少しでも愛があったらなと思ったが、そうすると物語全否定になってしまうんだよな。うーむ。それにしても蔦枝には共感しにくいんだよ。考えてみたって自分の一人娘をあんな退廃的で、多分コンプレックスの塊であろうエロおっさんに喜んで差し出すかなー、と。
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