
「舞台」が比喩ではなく、「人生そのもの」である――そんな世界観を提示してきたこのドラマ。
第4話「初日前夜」では、準備段階から舞台に立つその瞬間へと向かう裏側が鮮やかに映し出されました。
まずは、主人公の 久部三成(演:菅田将暉)を軸に、息を飲むような転換点が続きます。そして、 倖田リカ(演:二階堂ふみ)や 毛脛モネ(演:秋元才加)など、劇団「素人」たちの“内なる変化”が濃密に描かれています。
このレビューでは、「葛藤・成長・決意」という三つの視点から第4話を紐解っていきます。
1. 久部の葛藤:復讐か創造か
久部は、かつて自分を追い出した劇団から離れ、今や自ら立ち上げた劇団で〈夏の夜の夢〉の公演準備に取り組んでいます。
しかしその内心には、成功への自信と同じくらいに「怖れ」が巣食っていました。記事でも「準備が明らかに不足している」ことが指摘されています。
そこに「失敗しろ。失敗のないところに成長はない」という案内所のおばば(案内所のおばば/演:菊地凛子)の言葉が響きました。これは久部の“甘さ”を暴く言葉でもあります。

久部は、かつての自分を拒否しつつも、同時にその劇団への執着を捨てきれずにいる。復讐心とクリエイティブ欲、どちらが勝つのか。そして、その混在が彼に“人に甘い”という面を生み出しています。
蓬莱(演:神木隆之介)との信頼関係が少しずつ築かれていく中で、久部は「演出家」である以前に「人間・久部三成」としての成長を問い始めたように見えました。
このエピソードでは「己の欲望と真摯に向き合う瞬間」が、舞台の幕が上がる直前の緊張感とリンクして描かれており、次回以降に向けた伏線がしっかりと張られています。
リカの成長:準備も覚醒も“演技”の階段
倖田リカ。これまではダンサーとして舞台に立ってきた彼女が、今回ひとつの棒を越えた瞬間がありました。
オーナー・ジェシー(演:シルビア・グラブ)からの「ステージでは大きな声を出すこと」という助言を胸に、リカは自主トレを欠かさず、ついには自分の内面を表に出す“演技”へと踏み込んでいきます。
ゲネプロで緊張が高まる中、乱入してきた黒崎(演:小澤雄太)という“異物”が舞台に投げ込まれたことで、舞台上の空気が一変しました。そこでリカが見せたのは、「殻を破った」瞬間の顔。切ない声、表情、その全てが“観る者”を引き寄せるものへ変わっていました。
まさに「素人が演技に目覚め始めた」ことを象徴するシーン。この記事で紹介されていた通り、「情感のこもったリカの美しい声が舞台を包み、切ない表情が皆を魅了して拍手が広がりました。」という描写がそれを証明しています。
この変化は、ただダンサーから俳優への転身という物語上の展開ではなく、「表現者としてのリカ」の本質に近づくための覚醒プロセスであると捉えられます。
モネの決意:母であり俳優であるという選択
毛脛モネという人物ほど、「二律背反」に向き合っているキャラクターはなかなかいません。
ダンサーとして舞台に立ち、息子・朝雄(演:佐藤大空)を抱えるシングルマザー。教育現場からは「この環境で子育てするのは良くない」とも言われましたが、モネはそれを受け流しました。
「これからはシェイクスピア俳優として生きていくの」と宣言したシーンは、彼女自身も予想していなかった“選択”を自ら口に出した瞬間でした。
この台詞には、母としての責任、女性としてのキャリア、演者としての誇りが複雑に絡み合っています。そして、舞台を前にして母として・俳優として・女性としての“決意”を固めたモネの姿は、第4話の隠れた主役と言っても過言ではありません。
記事にもあるように「モネに自分で道を選んで進んで行きたいんですよね。それが彼女の誇り。」という観察が響きを持ちます。

その他の光る存在たち&背景描写
支配人・浅野大門(演:野添義弘)を巡る久部の優しさ/葛藤。大門のセリフ覚えの遅さを批判しながら、結局役を降ろせない久部の優しさが“甘さ”として描かれています。
ジェシーの実利主義とエンタメ愛。この記事では「ダンサーから俳優座、ストリッパー、そして実業家へ」という波乱万丈の人生を持つジェシーが、リカとの対話・ダンスシーンで“エンタメ愛”を覗かせたとされています。
舞台裏の準備と“劇団”という集団の未熟さ。準備不足、ゲネプロ直前の混乱、黒崎乱入というハプニング……すべてが“素人劇団の現実”としてリアルに映されており、緊張感を高めています。
時代背景:1984年の渋谷。舞台としてだけでなく、「この時代」ならではのエネルギー・カルチャーが空気として漂っており、作品世界への没入感を一層深めています。
全体を通して感じたこと
第4話は、まさに“本番前夜”の揺れ動く心情と、それぞれのキャラクターが抱える物語の分岐点が交錯した回でした。
久部の内的葛藤、リカの表現者への階段、モネの覚悟…それぞれが「舞台」というフィルターを通じて交わり、次なるステージへと向けて動き出しています。
「舞台」という比喩は、もはや生きることそのものだと改めて思わせてくれます。誰もが“幕を上げる”だけでなく、“幕を上げるために何を捨て、何を選ぶか”を問われているのです。
そして、次回の初日。舞台に立つ観客、幕が上がる緊張、成功か失敗か――その答えを見届けたくなる、そんな予感に満ちた終わり方でした。
次回に向けて私が注目したいポイント
初日に向けたゲネプロ以降の変化:劇団員たちが舞台袖から「演じる」へとどれだけシフトできるか。
久部が“甘さ”をどう克服するのか。また、復讐心から演出家として成長するか。
リカが表現者としてさらに開花する瞬間。舞台上でどれだけ自分を曝け出すか。
モネの「俳優として生きる」選択がどのように息子・朝雄や劇団メンバーとの関係に影響を及ぼすか。
黒崎という“異物”の存在がどんな風に劇団の緊張感を継続させるか。舞台という“群像”にどう影を落とすか。
記事のまとめ
第4話では「初日前夜」というタイトル通り、登場人物たちが本番を目前に、自らの立ち位置を再確認し、揺れ、覚悟を決めていく瞬間が描かれました。
久部の葛藤、リカの成長、モネの決意。舞台という舞台装置を借りて、それぞれの人生の幕が上がろうとしています。次回、いよいよ幕開け。どんな“夏の夜の夢”が観客を魅了するのか、目が離せません。
演劇モチーフの読み解き+時代背景補足
演劇モチーフの読み解き
このドラマは「舞台」というメタファーを通じて、人間が“演じる”ことの意味を問い続けています。特に第4話では、「演技」「舞台」「観客」といった演劇的キーワードが、俳優側の内面ともリンクして描かれています。
例えば、久部が支配人・大門に対して役を降ろせず弁当の注文を頼むだけで終わってしまった場面。これは彼が演出家/主宰者として“甘さ”を持っているという証です。しかし、「演技をする」「舞台に立つ」という瞬間においては、甘さなど許されません。失敗を恐れず、覚悟を持って立つことこそが演劇の本質だと、物語は語っているように思えます。
一方で、リカが「大きな声を出す」という助言を受け入れ、自分の表現を舞台上で解放した瞬間。それは単なる“ダンサー”から“俳優”への転換点であり、観客—舞台—演者という三角関係の中で自分の居場所を掴んだ瞬間でもあります。観る側としては、その“解放”の瞬間にこそ感動を覚えます。
モネの選択もまた、演劇的には「セリフのない役」「脇役」「母親」という立場を飛び越えて、自らを“主役として演じる”ことを決めた瞬間です。舞台上にいるか否かだけではなく、「舞台に立つという覚悟」を選んだ時点で、彼女は“演者”になったのです。
このように、第4話では“舞台を前にした人間たち”の構図が鮮明に浮かび上がっており、演劇という装置を通して「人生=舞台」というメッセージを浮かび上がらせています。
時代背景:1984年渋谷という空気
本作の舞台は1984年の渋谷――バブル経済期の前夜、若者文化の発信地としての“渋谷”が大きな舞台装置となっています。
この時代、まだスマホもインターネットもなく、所有や消費、発信の概念が今とは異なっていました。「明日はもっと良くなる」「自分の場を作る」という希望が強く、同時にどこか切実な不安もありました。その雰囲気が、このドラマの若者たちの姿にリアルに反映されています。
第4話においても、「準備不足」「舞台未完成」「観客を前に立つ恐怖」といった要素が、時代的な「不安定さ」や「挑戦の価値」と結びついているように感じられます。観客ではなく“自分たち自身”を舞台に立たせていく。そのプロセスの苦味が、この時代設定からさらに深まっているのです。
なぜこのドラマが“今”響くのか
今の時代、SNSや動画配信などで「誰もが舞台に立てる」ようになりました。ただし、立つことが目的になりがちで、「立った後どう演じるか」「誰のために演じるか」「何を伝えるか」という点が希薄になっている気がします。
このドラマは、まさにその問いを“演劇”というフィルターを通して再提示しています。第4話でその問いが深く立ち上がったと私は感じました。観衆の居ない舞台、準備が整っていない舞台、それでも「幕を上げる」覚悟。それは、いま私たちがそれぞれの“舞台”に向き合う姿とも重なります。
ドラマ『もしもこの世が舞台なら』第4話レビュー|久部の葛藤、リカの成長、そしてモネの決意
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