
2025年10月17日に全国公開された映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』。
 主演は、次世代を担う俳優・當真あみ。監督は『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』(2023)や『劇場版 美しい彼〜eternal〜』(2023)などで知られる酒井麻衣。脚本は、『ちゅらさん』『ひよっこ』など数多くの人間ドラマを生み出してきた岡田惠和が担当した。
原作は芥川なおによる同名小説(すばる舎刊)。
 公開直後から「静かに泣ける」「観たあと優しくなれる」といった感想がSNSで多く見られ、じわじわと話題を集めている。
この記事では、ネタバレを避けながら――なぜこの映画がここまで心を揺さぶるのかを、脚本・映像・音楽の観点から丁寧に解き明かしていく。
映画『ストロベリームーン 余命半年の恋』とは?
15歳の冬。主人公・桜井萌(當真あみ)は医師から「余命半年」と告げられる。
 長い療養生活を送ってきた彼女は、高校への進学を決意。入学式の日、偶然出会った同級生・佐藤日向(齋藤潤)に惹かれ、勇気を出して自分から想いを伝える。
「好きな人と一緒に見ると永遠に結ばれる」といわれる6月の満月“ストロベリームーン”。萌は、自分の誕生日である6月4日にその月を一緒に見に行くことを日向と約束する。
 だが、約束の夜を最後に彼女は姿を消す。
13年後――。社会人となった日向(杉野遥亮)は、ある出来事をきっかけに“あの約束”の真実と向き合うことになる。
余命半年の少女・萌が見つけた“生きる理由”

本作の魅力は、病や別れの悲しさではなく、「生きるとは何か」を見つめる視点にある。
 萌が高校に進む決断をするのは、残り時間を嘆くためではなく、限られた時間でも“誰かを想い、日々を感じる”ため。
當真あみの演技は、言葉数が少ない中に芯の強さを宿している。
 無邪気な笑顔と一瞬の沈黙、その両方が観る者に“命の輝き”を感じさせる。
 彼女が日向に心を開いていく過程は、まるで春の雪解けのように自然で、観客も一緒に心をほどかれていく。
13年越しの再会がもたらす“時間を超えた愛”
物語は、高校時代と13年後の二つの時間軸で描かれる。
 若き日の日向を齋藤潤が、13年後を杉野遥亮が演じており、それぞれの表情や話し方が絶妙にリンクしている。

高校時代の無垢な恋心。
 そして、大人になった今も忘れられない痛み。
 この二つが重なった瞬間、観客の胸にこみ上げるのは“懐かしさ”ではなく、“生き続ける想い”そのものだ。
時の流れが、ふたりの距離を遠ざけるのではなく、想いの輪郭をより鮮明にする構成が本作の大きな魅力だ。
泣ける理由①:人生の「もしも」を静かに描く脚本力
脚本家・岡田惠和は、派手な展開ではなく、日常の中に潜む奇跡を描く名手だ。
 萌と日向のやりとりは、あくまで自然体。どのセリフも説明的ではなく、観る人の中で余韻として残る。
たとえば、萌がこぼす「普通に生きてみたかった」という言葉。
 それは“願い”であると同時に、“感謝”でもある。
 その一言に、彼女がどれほど日常を大切にしているかが滲み出る。
岡田脚本の真骨頂は、「生きること」「想うこと」「残すこと」という3つの要素を、涙に頼らずに伝える点だ。
 この映画が“泣ける”のは、悲しみを描くからではなく、“優しさの中に痛みがある”ことを教えてくれるからだ。
泣ける理由②:映像と音楽が紡ぐ“やさしい余韻”
監督・酒井麻衣の映像演出は、光と静寂を巧みに使い分ける。
 淡いピンクや青のトーンで統一された画面は、まるで一枚のポエムのよう。
 「死」を悲劇ではなく、「生の証」として描くことで、観客に“穏やかな涙”を誘う。
特に終盤の月明かりのシーンは圧巻。
 言葉ではなく、風・光・沈黙で感情を伝えるその構成は、まさに映像詩。
そしてエンドロールに流れるORANGE RANGE「トワノヒカリ」が、すべてを優しく包み込む。
 この楽曲は“永遠に続く想い”をテーマにしており、物語の余白をそっと照らす。
 劇場を出る頃には、心の奥に小さな光がともるような感覚が残るだろう。
ストロベリームーンが象徴する“永遠”とは
6月の満月「ストロベリームーン」には、「好きな人と見ると永遠に結ばれる」という言い伝えがある。
 映画の中では、この月が“命”と“愛”の象徴として登場する。
萌にとってストロベリームーンは、「終わりを受け入れるための象徴」ではなく、「想いが続くことを信じるための光」。
 その瞬間、観客もまた、時間を超えて人を想うことの尊さに気づかされる。
タイトルの“ストロベリームーン”は、恋の象徴であり、命の比喩でもある。
 その二重の意味が、作品全体に深い余韻を与えている。
見どころまとめ|“命の期限”ではなく“想いの持続”を描く作品
『ストロベリームーン 余命半年の恋』は、涙を誘う映画でありながら、決して悲しみだけで終わらない。
 萌が見つけた“生きる理由”、日向が守り続けた“約束”、そして二人をつなぐ“月”。
 それぞれが静かに響き合い、「命の期限」ではなく「想いの持続」を描き出す。
観終えたあとに残るのは、喪失ではなく希望だ。
 それこそが、本作が“泣ける映画”として支持されている最大の理由である。
原作との違いと、映画版ならではの魅力
原作小説『ストロベリームーン』(芥川なお/すばる舎)は、萌の心情を一人称で丁寧に描いた作品。
 映画版では、視点を広げることで「残された人の物語」も併せて描かれている。
特に13年後のパートを中心に据えた構成は、映画ならではの再解釈。
 杉野遥亮演じる大人の日向の視点を通して、過去と現在が穏やかに交錯していく。
また、萌の両親(ユースケ・サンタマリア、田中麗奈)の描写が加わったことで、「家族が命とどう向き合うか」という新しいテーマも加わった。
 これにより、作品全体が“恋愛映画”の枠を超え、人生そのものを見つめる物語へと深化している。
映像では、酒井麻衣監督の代名詞である“光の演出”が随所に。
 校舎の窓に射す朝の光、夜の海に映る月、そして萌の部屋に差し込む柔らかな陽射し――すべてが心情を代弁する。
 音楽とともに流れるその映像詩は、観客の記憶に静かに残る。
🎬 まとめ
『ストロベリームーン 余命半年の恋』は、限られた命の中で「どう生きるか」を問う映画だ。
 “別れ”を描いているようで、実は“つながり”の物語。
 萌が残した想いは、日向の中で、そして観る人の心の中で生き続ける。
涙のあとに残るのは、喪失ではなく光。
 ――それが、この映画が“泣ける”と言われる理由だ。


















