
ステージに立つ基俊介は、鋭い視線と研ぎ澄まされた動きで空気を一変させる。一方、芝居の場での彼は、驚くほど自然体だ。
この振れ幅こそが、基俊介という表現者の大きな魅力であり、観る人が惹きつけられる理由の一つだろう。
グループIMP.のメンバーとして音楽・パフォーマンスの第一線に立ちながら、俳優としても着実に経験を重ねてきた基俊介。グループ活動と俳優業、その二つが交差する場所に、彼ならではの表現の芯が見えてくる。
グループで培われた「引く判断」と「空気を読む力」

IMP.のパフォーマンスにおいて、基俊介は常にセンターで目立つタイプではない。その代わり、全体の流れを把握し、自分が前に出る瞬間と、あえて引く場面を的確に選んでいる。
この感覚は、芝居の現場でもそのまま生きている。相手役のセリフを遮らずに受け止める姿勢、会話のリズムを崩さない間の取り方。
それは技術というより、長年“誰かと一緒に表現する”経験を積み重ねてきた結果だ。
初主演経験がもたらした、俳優としての意識の変化
俳優・基俊介にとって大きな節目となったのが、ドラマと舞台が連動した企画『ぴーすおぶけーき』での初主演経験だった。主演という立場を初めて担ったことで、作品全体をどう支えるかを考える視点が芽生えたと考えられる。
その延長線上にあるのが、完全新作として制作されたぴーすおぶせーふだ。国会占拠事件という緊張感のある設定を持ちながらも、物語の軸にあるのは「できれば波風を立てずに生きたい」3人の等身大の感覚である。
黒島結人という役に重なる“素直さ”
基俊介が演じる黒島結人は、公務員として働く中で、有給休暇中に事件に巻き込まれてしまう人物。特別な使命感を持つわけでもなく、ヒーロー的な資質を備えているわけでもない。
だからこそ、彼の一つ一つの選択が現実的で、観る側は「自分だったらどうするか」と考えやすい。基自身もこの役について、素直でまっすぐ、どこか憎めない存在だと語っており、その方向性は芝居にも自然に反映されている。
感情を大きく誇張するのではなく、迷いや戸惑いをそのまま残す。その姿勢が、キャラクターを記号ではなく“生きている人間”として成立させている。
会話劇で際立つ、さりげない存在感
本作では、佐々木美玲、落合モトキとの3人による会話劇が物語を大きく動かす。
基俊介は、場を引っ張るタイプではないが、相手の言葉を受け止める間や視線の使い方が非常に安定している。
一拍遅れた相槌や、言葉に詰まる一瞬の沈黙。そうした細部が積み重なることで、シーン全体にリアリティが生まれる。
ドラマで築かれた関係性は、舞台パートに引き継がれ、観客の反応を受けながらさらに深まっていく。その過程自体が、俳優・基俊介の柔軟さを示している。
アイドルと俳優、その境界が曖昧な理由
基俊介の表現には、「グループ活動」と「俳優業」を明確に切り分けている印象があまりない。
どちらの現場でも共通しているのは、場全体を見渡し、自分の役割を理解しようとする姿勢だ。
グループでは一員として、芝居では役の一部として。常に全体の中で機能することを優先してきた経験が、表現に安定感を与えている。
積み重ねが生む信頼と、これからの期待
基俊介は「また同じチームで芝居ができることが嬉しい」と語っている。この言葉からは、現場で築かれた信頼関係の中で、次の表現に挑める手応えがうかがえる。
主演経験を経て、現在の彼は“目立つ存在”というよりも、“物語を成立させる存在”としての役割を広げつつある。派手さではなく、確実さで印象を残す。その変化が、今後どの作品でどのような形を取るのかは、注目すべきポイントだろう。
基俊介の芝居が「自分ごと」として届く理由

基俊介の演技が多くの人に届きやすい理由は、答えを押し付けない点にある。
彼が演じる人物は、常に正解を知っているわけではない。迷い、ためらい、時には判断を先延ばしにする。その過程を省略せずに見せることで、観る側は自然と感情を重ねることができる。
現代の作品では、分かりやすいメッセージ性や強いキャラクター性が求められる場面も多い。しかし基俊介の芝居は、その隙間にある“決めきれなさ”を丁寧にすくい取る。その余白が、観る人それぞれの経験や価値観と結びつき、「自分の話」として受け取られる理由になっているのではないだろうか。
完成形を提示するのではなく、変化の途中を見せていく。
そのプロセスを追いかけたくなること自体が、基俊介という表現者が人を惹きつける理由の一つと言えそうだ。





