
1998年5月2日。
その日、hideの名前がニュースで流れたとき、「信じられない」という言葉が先に出た人は少なくなかったはずだ。
あれから時間は確実に流れている。それでも5月2日になると、不思議なくらい同じことが起きる。
誰かがhideの曲を流す。SNSに名前が並ぶ。そしてライブが行われる。
終わったはずの日が、毎年“音で更新される日”になっている。
hideという存在は「説明しきれない」

hideのすごさを、きれいに言葉で整理するのは正直むずかしい。
ロックだった。
でもポップだった。
派手だったのに、どこか親しみやすかった。
音も見た目もバラバラに見えるのに、ステージに立つと全部がひとつにまとまる。その違和感のなさが、逆に強烈だった。
だから「どういうアーティストか」と聞かれると、説明はできる。でも、それだけだと足りない。
ライブで感じた空気まで含めて、初めて成立する人だった。
命日なのに、静かじゃない理由
普通、命日というと静かなイメージがある。
でもhideの5月2日は違う。
音が鳴る。
人が集まる。
歌われる。
それは誰かに強制されているわけでも、公式に決められているわけでもない。ただ、自然とそうなっている。
1999年の一周忌では献花式が行われ、その後も「hide Memorial Day」として場は続いてきた。そして今は、その一部がライブという形で受け継がれている。
形は変わっている。でも、「集まる」という行為だけは変わっていない。
2026年も、同じように音が鳴る
2026年5月2日。神奈川・CLUB CITTA'で開催されるのが「hide Memorial Day 2026 ~Sing along Live “Hi-Ho!”~」

このイベントは、ただ観るライブではない。タイトルにある通り、“一緒に歌う”ことが前提になっている。
出演は
- hide
- defspiral
- CUTT
- 木村世治
- TAKA
そしてスペシャルゲストとして
- J(LUNA SEA)※追加発表
- 松岡充
- PATA
- KOHSHI
- KEIGO
などが名を連ねる。
この並びを見るとわかる。時代もバンドも違う人たちが、同じ日に同じ曲を鳴らす。それ自体がもう、hideの残した影響の形になっている。
「Hi-Ho!」は合図みたいなもの
「Hi-Ho!」という言葉に、厳密な定義はない。
でもライブで聞くとわかる。あれは説明するものじゃなくて、自然に出てくるものだ。
ステージと客席の間にあったはずの境界が、少し曖昧になる。知らない人同士でも、同じリズムで声が出る。
だから今回のタイトルにそれが入っているのは、すごく自然だと思う。
J(LUNA SEA)がいる意味
今回の発表で名前が挙がった
J
この人がいることで、空気が一段リアルになる。
1990年代、同じ時代を走っていたミュージシャン。その時間を知っている人が、同じ日に音を鳴らす。
それは説明よりも、体感に近い。
「過去の話」じゃなくて、ちゃんと地続きのものとして感じられる瞬間がある。
5月2日が、終わらない理由
hideの音楽は、今も普通に聴ける。それだけなら他にもたくさんある。
でも5月2日は少し違う。
この日だけは、ただ聴くんじゃなくて「鳴る」。
誰かが流して、誰かが歌って、誰かが集まる。それが毎年繰り返される。
だからこの日は、過去じゃなくて“現在”になる。
命日が“更新される日”になるということ

hideの命日がこれだけ長く続いている理由を、ひとつに絞って説明するのは難しい。ただ、はっきりしていることがある。
それは、5月2日が「止まった日」ではなく、“動き続ける日”として扱われていることだ。
1999年には献花式という形で多くの人が集まり、その後もhide Memorial Dayは継続してきた。つまり最初からライブだったわけではない。形はその都度変わっている。
それでも続いているのは、「同じ日に集まる」という行為が維持されてきたからだ。
そして現在は、その一部がライブとして行われている。2026年の「Sing along Live “Hi-Ho!”」は、その流れの中にあるひとつの形だ。
ここで特徴的なのは、“参加する前提”になっている点だろう。観客はただ観るだけではなく、歌うことを求められる。
この構造によって、イベントは受け身では終わらない。その場で音が増え、空気が変わる。
出演者の顔ぶれを見ても、hideと直接関わりのあった人物だけではなく、異なる時代やバンドのミュージシャンが混ざっている。
その結果、同じ楽曲でも毎回少しずつ違う音になる。
重要なのはここだ。
同じことを繰り返しているようで、実際には毎回変わっている。
だからイベントが固定化しにくい。だから続いている。
もし完全に同じ内容が繰り返されていたら、ここまで長くは続かないはずだ。
5月2日は、記録として残っている日付ではある。でも実際に起きているのは、記録の再生ではない。
その場で、もう一度音が鳴ること。それによって意味が少し更新されること。
この繰り返しがある限り、5月2日は“終わった日”にはならない。

