
静かな取調室で始まる“爆弾”の物語
2025年10月公開の映画『爆弾』。主演には日本を代表する実力派俳優が集い、原作は呉勝浩による同名小説。
原作は2022年に講談社から刊行され、『このミステリーがすごい!2023年版』『ミステリが読みたい!2023年版』でいずれも第1位を獲得した社会派サスペンスの傑作です。
物語の中心にいるのは、どこにでもいそうな中年の男・スズキタゴサク。だが彼の口から語られる「爆弾」という言葉が、警察も読者も息を呑むほどの緊迫した“ゲーム”の幕を開けます。
原作『爆弾』とは?その背景とテーマ
著者・呉勝浩は、『推定無罪』『スワン』などで知られる新世代ミステリー作家。
 彼の作品の特徴は、犯罪そのものよりも人間の倫理と組織の歪みを炙り出す構造にあります。
 『爆弾』では、「爆発事件」というショッキングな設定を通して、「正義とは何か」「嘘と真実の境界はどこにあるのか」という根源的なテーマに迫っています。
物語全体は、ほぼリアルタイムで進行する取調室の攻防が軸。
 登場人物の表情や沈黙すら伏線になる“会話劇的スリラー”として構築されており、
 密室の中で人間の心理が少しずつ崩壊していく過程を描いています。
あらすじ(ネタバレ少なめ)——“ただの酔っ払い”のはずが

物語の始まりは、都内の警察署。
 酔っぱらって自販機を蹴り、通報されて逮捕された男・スズキタゴサク。
 取り調べを担当する刑事たちは、最初は軽犯罪の routine として対応します。
 しかし、スズキはふとこう口にします。
「今日の10時、秋葉原で爆発が起きます」
当然、冗談だと思われたその言葉。
 ところが、彼の言葉どおりに秋葉原の廃ビルで爆発事件が発生。
 そこから“取調室”と“現場”の時間がシンクロし、物語は一気に緊張感を増していきます。
スズキは落ち着いた声で言います。
「次は1時間後。全部であと3回、爆弾がある」
警察は彼の供述を頼りに必死に捜索を開始するが、
 スズキはどこか楽しげに、警察組織を手玉に取るような態度を崩さない。
 やがて、彼が単なる通り魔ではなく、警察の“過去”を知る人物である可能性が浮上します。
結末ネタバレ(概要)——スズキタゴサクの正体と「見えない爆弾」

物語の核心にあるのは、4年前に警察内で起きた不祥事。
 一人の刑事・長谷部有孔が自殺に追い込まれた事件です。
 スズキタゴサクは、実はこの長谷部と深く関係しており、彼の死の真相を「爆弾予告」という形で暴こうとしていたのです。
つまり彼が仕掛けた“爆弾”とは、物理的な爆発だけではなく、組織の腐敗そのもの。
 警察が隠してきた罪と、守ろうとしてきた“虚構の正義”を暴露するために、スズキは命を懸けたゲームを仕掛けたのです。
最終的に、いくつかの爆破は未然に防がれるものの、
 スズキの行動によって警察という組織の「内部爆発」が起きます。
 取調べを担当していた刑事たちは、自分たちが守ってきた「正義」の意味を根底から問われることになるのです。
ラストでスズキは静かに微笑みながら言います。
「爆弾は、もう爆発してるんですよ」
その瞬間、読者・観客は悟ります。爆発したのは建物ではなく、“人間の倫理”そのものだったのだと。
映画と原作の違い
映画版『爆弾』では、原作の密室的緊張感を映像で再構築。
 取調室での会話だけで進む原作に対し、映画では現場映像やニュース映像を交錯させ、
 「時間」と「視点」の緊張を強調しています。
また、スズキと刑事・類家(交渉人)の心理戦が中心に据えられ、
 二人の対話が「真実の核心」へと観客を導く構成に。
 原作での淡々とした筆致に対し、映画では緩急のある演出が加えられ、
 “サスペンス映画としてのスリル”が最大限に引き上げられています。
スズキタゴサクとは何者か——狂気と理性の境界線

彼は狂人なのか、正義の使者なのか。
 スズキタゴサクという人物は、現代社会の矛盾を体現する存在です。
 彼の発言の一つ一つが、社会に対する“皮肉”であり、“問い”。
「正義のためなら、どこまで嘘をついていいんでしょうね」
この一言が、作品全体を象徴しています。
 彼は警察の過ちを糾弾しながら、自らもまた破壊を選んだ。
 そこにあるのは、単純な復讐ではなく、「人間の倫理とは何か」という哲学的な挑戦です。
読後に残る問い——正義と嘘の境界
『爆弾』のラストは、スズキの死や爆弾そのものの行方よりも、
 「人間はどこまで正義を信じられるのか」という問いに重きが置かれます。
 警察も、スズキも、そして社会全体も、
 自らの“正しさ”という爆弾を抱えている。
その意味で、『爆弾』とは犯罪小説ではなく、
 “社会を映す鏡”としての哲学的スリラーなのです。
【追記】呉勝浩が描いた「見えない暴力」と“倫理の崩壊”
呉勝浩の作品群には一貫して、「組織と個人」「罪と贖罪」「虚構と真実」というモチーフが通底しています。
 『爆弾』では、取調室という密室が“社会の縮図”として機能し、
 権力と倫理がせめぎ合う現代日本の姿を冷徹に映し出しています。
スズキが警察を挑発し続けるその姿は、
 “悪人”というよりも、“真実を語る狂気の預言者”。
 観客は彼の狂気に恐れながらも、どこかで「彼の言葉の中に真実がある」と感じてしまうのです。
本作は、単なるサスペンスを超え、
 “爆発音の後に残る静寂”の中で人間の心を見つめ直す作品です。


















