存在の輪郭がかすむ10代に、ひとすじの光を投げかける物語
韓国の10代読者の圧倒的な支持を集めた話題作、小説『ビスケット』。
聴覚過敏や音恐怖症などを抱え、世界との接触を避けながら生きる少年が、壊れそうな心を持つ人々=“ビスケット”を救うために動き出す──そんな痛みと優しさに満ちた冒険譚が、今、世代を越えて共感を呼んでいます。
この物語は、「いま、ここにいることの意味」を問いかけながら、誰かの存在が誰かの救いになることを力強く描いています。
韓国の現実から生まれたフィクション——10代の苦しみは“他人事”ではない
近年、韓国では10代の自殺率が過去最悪を記録。OECD加盟国中で最も高いという深刻な状況が続いています。
そんな現実の中で、出版大手ウィズダムハウスが主催する**第1回ファンタジー文学賞(青少年部門)**にて、10代読者の投票のみで選ばれたのが本作『ビスケット』。さらに、韓国全国500人の図書館司書が選ぶ「2024年 今年の1冊」にも選出され、児童文学・YAジャンルの枠を超えて注目を集めています。
ビスケット——それは「見えなくなる存在たち」への名前
タイトルにある「ビスケット」は、文字通り“壊れやすく、粉々になりやすい焼き菓子”の比喩です。
作中では、自尊心を踏みにじられ、社会や家族から無関心にされることで、自分という存在を見失いかけた人々を指しています。
作者キム・ソンミは、それを3段階で描き出します。
第1段階:割れたビスケット
まだ輪郭は残っているが、周囲から「いたの?」としか思われない存在。第2段階:バラバラに砕けたビスケット
近くにいても半数以上の人が気づかないほど、存在感が薄くなってしまった状態。第3段階:粉々になり、誰の目にも映らないビスケット
存在そのものが消えてしまったような、極限の孤立状態。
作中では、この「見えなくなった存在」を探し出し、手を差し伸べることが物語の核心にあります。
音を“感じすぎる”少年ジェソンの闘いと使命
主人公のソン・ジェソンは、聴覚過敏・音恐怖症・音強迫症という三重の症状を持ち、ありとあらゆる“音”に脅かされながら暮らしています。
たとえば:
- 教室のボールペンのノック音
- 夜のバイクの爆音
- 隣人の足音
- 人のすすり泣きや怒鳴り声
こうした音に反応し、「その発信源に報復しないと気が済まない」という強迫観念に支配される彼の日常は、常に緊張に包まれています。
けれど、その“異常なまでの聴覚の鋭さ”が、彼に特別な使命を与えるのです。
音に敏感なジェソンだからこそ、誰にも気づかれずに消えていこうとする“ビスケット”たちの存在を感じ取れる。
少年たちの「ビスケット救出チーム」、密かな冒険が始まる
ジェソンは、かつて救い出した幼なじみのヒョジン、冷静な観察眼を持つドクヮンとともに、“ビスケットを見つけ出し、守る”という秘密の活動を始めます。
それは一種の探偵チームのようであり、命のギリギリを救うレスキューチームのようでもあります。
ある日、今にも消えてしまいそうな“第三段階”のビスケットを発見した彼らは、ある決死の作戦に乗り出します──それは予測不能な展開と、読者の心を揺さぶる“救出劇”の始まりでした。
子どもと読んだ大人も涙——全世代に届く優しいヒーロー譚
この物語が10代読者に限らず大人にも深く刺さる理由のひとつは、「誰もがビスケットになり得る」という普遍性にあります。
- 親から期待も関心も持たれない少女
- 職場で孤立している大人
- 家庭の中で見えなくなった人
私たちのすぐそばにも、ビスケットはきっといる。
そして、「誰かの小さな手」が、人生を救うきっかけになり得ることを、この物語は静かに教えてくれます。
続編『ビスケット2』も話題に!プレイリスト付きで世界観がさらに広がる
韓国ではすでに続編『ビスケット2』が刊行され、物語はさらに進化。
ジェソンたちの新たな試練と成長、そして「救う者」から「救われる者」への視点転換が描かれており、ファンからは「前作を超える感動」との声も。
出版社ウィズダムハウスは、作品世界を彩るプレイリストをYouTubeに公開。
NCTマーク「Loser」、DAY6「Zombie」、イ・ヨンジ×Jambino「ADHD」など、登場人物の感情にリンクする楽曲が揃い、物語の余韻をより深めてくれます。
「自尊心の回復」はどうすれば可能か?『ビスケット』から読み解く支援のヒント
本作の魅力は、単なる感動ストーリーにとどまらず、「見えなくなった存在」をどう支えるかという社会的問いかけにも及びます。
韓国に限らず、今や日本でも「若者の自己肯定感の低下」や「社会的孤立」は深刻な問題。
文部科学省の調査でも、10代の自尊心は国際的に見て著しく低く、「自分には価値があると思えない」と答える生徒は6割近くにのぼると言われています。
本作のように、救いのきっかけは「特別な才能」ではなく、以下のような日常の小さなアクションかもしれません。
- 「気づくこと」:沈んだ顔、話さない時間が増えた、LINEの返事がこない…
- 「声をかけること」:何気ない「大丈夫?」の一言が生死を分けることも。
- 「そっとそばにいること」:解決できなくても、“見ているよ”という存在が必要。
『ビスケット』の主人公ジェソンは“音”という特殊能力を使って他者を救いますが、私たちに必要なのは、ちょっとした観察力と関心だけです。
この物語は、それをやさしく、けれど確かに読者に伝えています。
書誌情報
- 書名:ビスケット
- 著者:キム・ソンミ
- 翻訳:矢島暁子
- 発売日:2025年7月2日
- 価格:1,650円(税込)
- 出版社:飛鳥新社