映画『フロントライン』と小栗旬が見せた40代の覚悟
2025年6月、日本映画界に静かな衝撃をもたらす作品が登場する。
その名も『フロントライン』──日本で初めて新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船での実話をもとに、医療・行政・人間の葛藤を描く社会派ドラマだ。
主演は、40代を迎え円熟期に差し掛かる小栗旬。
このタイミングで“あの時代”を振り返る意味とは何か?
そして小栗がこの作品で見せた「覚悟」とは──。
◆ “いま描くべき理由”とは何か?
多くの人が、2020年春を忘れていない。
世界が一斉に止まり、恐怖と混乱に包まれたあの日々──。
だが、時間の経過とともに、私たちは“何が本当に起きていたのか”を正確に知る機会を失いつつある。
映画『フロントライン』が注目すべきなのは、その空白を埋めようとする姿勢だ。
エンタメとしてのドラマ性を排除し、可能な限り実態に基づいた人間の選択と行動を丁寧に描いている。
「報道では伝わらなかった現実が、そこにある」
──そんな思いで劇場に足を運ぶ観客も少なくないだろう。
◆ 小栗旬が演じた“見えない戦場”の指揮官
本作で小栗が演じるのは、災害医療チーム「DMAT」の指揮官・結城。
現場で闘う医師たちと、厚労省・県庁との板挟みになるポジションである。
つまり、彼の戦場は“現場”ではなく“机上”。
だが、その現場に立つ人々が安全に動けるよう、政治と医療の狭間を奔走する重要な存在だ。
この役柄は、一見地味に思えるかもしれない。
しかし小栗は、あえて「情熱的な演技」を避け、リアルな人物像を掘り下げる静かな芝居で観る者を引き込む。
それは俳優としての経験値、そして40代という年齢が与えた深みとも言える。
◆ “主役不在”の群像劇が伝えること
本作を貫く美学のひとつが、「誰か一人を主役にしない」こと。
各キャラクターが等しく重要であり、観客の視点によって物語の中心が変わる構造になっている。
医療チームの若き医師を演じる池松壮亮、国から派遣された官僚に扮する松坂桃李、そして船上で孤独に患者と向き合う窪塚洋介──。
彼らの存在が物語に厚みを加え、「誰もがヒーローだった」現場のリアリティを支えている。
これはまさに、「誰が主役か」ではなく「誰もが必要だった」時代の再現なのだ。
◆ 小栗旬が語る“覚悟”と“変化”
20代の頃は、野心と不安に突き動かされながら走り続けていた──。
そんな小栗旬も、今では「必要とされる現場に自分を投じる」スタンスにシフトしたという。
本作のように、感情を揺さぶる作品であっても、それを“煽らずに伝える”選択は、経験を重ねた彼だからこそ可能だった。
とくに印象的なのは、「モデルとなった医師たちの“志”を歪めずに届けたい」という姿勢。
その誠実さが、画面越しにも伝わってくる。
◆ 作品の核心──“見えなかった現場”を見せること
『フロントライン』は、あくまでフィクションの体裁をとっているが、その背後には徹底した取材と実話の積み重ねがある。
多くの人が見落とした「現場の声」や「決断の重み」が、静かに、しかし確実に観客の心に届く。
コロナ禍の是非や政治判断の功罪ではなく、
その場で命と向き合った一人一人の物語を受け止めること。
それが今、本作が描かれる意義なのかもしれない。
▼「災害医療チームDMAT」とは?──現実のヒーローたちを知る
映画で描かれるDMAT(Disaster Medical Assistance Team)は、厚生労働省によって設置された災害時専用の緊急医療チームだ。
もともとは地震や台風などの自然災害に対応するための制度であり、新型コロナウイルスのような感染症パンデミックへの対応は“想定外”だった。
にもかかわらず、彼らは現場に駆けつけ、初期対応にあたった。
それは防護服すら不十分だった時期であり、文字通り命を懸けた任務だった。
◼️ その中で求められた「調整役」の存在
DMATは決して単独で動くわけではない。
現場の医師たちの安全を確保し、行政・政治サイドとの橋渡しを行う“中間管理職”的存在が、作品中で小栗が演じる結城のような人物である。
現実のモデルとされる医師たちの証言によれば、この立場の苦悩は並大抵ではなかったという。
- 物資が足りない
- 情報が錯綜する
- メディアのプレッシャーもある
それでも、「誰かがこの混乱を整えなければならなかった」。
◼️ 観る者の“当事者意識”を呼び起こす映画
『フロントライン』が優れている点は、「あなたならどうした?」と問いかけてくるところだ。
医師でも官僚でもない一般の観客であっても、自分のあの頃の感情を思い出さずにはいられない。
- あの時、自分は何を信じていたか?
- 誰かを責めていなかったか?
- 本当に現場の声を聞こうとしていたか?
作品が終わる頃には、そんな問いが静かに心に残る。
それこそが、映画が持つ“もうひとつの使命”だろう。
📝 締めくくりに
『フロントライン』は、感動を押しつける作品ではない。
観る人それぞれが、あのときをどう生きたのか、どう記憶するのか──その解像度を上げてくれる映画である。
そして主演・小栗旬は、40代にしてなお、「役を通して社会と対話する俳優」として新たなステージに立った。
この作品が、私たち自身の“心の備忘録”になることを願ってやまない。