映画『本心』は、AIが発展した近未来を舞台に、主人公の青年が亡き母との対話を通じて、母の「本心」に迫る物語です。
本作で提示されるテーマの一つが、「自由死」と呼ばれる概念。自らの意思で人生の最期を選択するこの死生観は、AI技術が人間の死にどう関わるのかを描いた映画ならではの切り口です。本記事では、映画『本心』が描く「自由死」や、亡き母との対話が息子に与える影響について深掘りしていきます。
あらすじ:AIがつなぐ母との再会
『本心』の主人公・章一(演:池松壮亮)は、母の葬儀後、AI技術を活用して生前の母のデータから再現された「母の人格」と対話を始めます。
これは、母が死後も息子と話ができるようにと生前に選択した「意識データ化」によるもので、彼女はあらかじめ自らの「自由死」を決意していたのです。
データ上の母との対話は、息子にとって本物の母と会話しているような感覚をもたらしますが、同時に母が本当に望んでいたことや、死を選んだ理由を考えさせられる契機となります。
未来の死生観「自由死」の意義
「自由死」とは、テクノロジーが進化した未来で、個人が自らの意思で人生の終わりを迎える選択を指します。
これは、自らの「自由意志」で死を選ぶことであり、伝統的な死生観とは一線を画します。『本心』の母は、自身がどのように死を迎えるかを決め、さらに死後も息子との対話を可能にすることで、ある種の「不死」を選択しました。この設定は、テクノロジーが生と死の境界線を曖昧にする未来を描くと同時に、現代の死生観への問いを投げかけています。
主人公の葛藤:母の「本心」を知るとは
章一は「自由死」を選んだ母がどのような想いでその決断に至ったのかを知りたくなりますが、再現された母との対話は必ずしも母の生前の「本心」を全て伝えるわけではありません。
再現されたデータは母の生前の意識を基にしているものの、AIが生成した人格には欠落やズレがある可能性があり、章一は「本当の母」を失ったことを実感する場面も出てきます。しかし、それでもなお、彼は母の考え方や価値観を理解しようと試み、彼自身の生き方に影響を受けていきます。
テクノロジーが変える死生観
『本心』が描く未来社会では、テクノロジーが人々の死に方、さらには死後の在り方を大きく変えています。
デジタル空間での「生き続ける」選択肢は、現実の死から意識的な別れを感じさせなくする一方で、亡くなった人の思い出や価値観をデータとして残すことが可能になりました。このような死生観の変化は、現代の延命治療や緩和ケア、さらにはデジタル遺産の問題とも通じるテーマであり、私たちに今後のテクノロジーの進化に伴う倫理観の変化を考えさせます。
母が遺した「隠された想い」とは
章一との対話を通して、母の人格データは少しずつ彼に隠していた心の奥底の想いを明かし始めます。
母は何を恐れ、何を愛し、どのような生き方を望んでいたのか。それは生前、言葉にはされなかった「母の本心」です。この「隠された想い」に触れることで、章一は母の死に対する見方を変え、彼女の選択を受け入れることに近づいていきます。
AI時代の死と向き合うために
本作は、AIが人間の意識や記憶をデジタル化する未来の可能性と、それが私たちの死生観に与える影響を描いた作品です。
「自由死」という概念を通して、自らがどのように生き、どのように死ぬかを考えることの重要性が浮き彫りにされています。映画『本心』は、私たちにとっての「生」と「死」について再考を促し、AIによって形作られる未来の在り方について深い問いを投げかけます。