「大泉洋が出ているから観た」──その軽い理由で心を揺さぶられるとは思わなかった
「感動の実話」「恩師との絆」「涙のラスト」──そんな言葉にうんざりしている人こそ、映画『かくかくしかじか』は観る価値がある。
なぜならこの映画は、ただの“いい話”では終わらない。むしろ、取り返せなかった時間と、言葉にできなかった後悔を丁寧に描いた作品だからだ。
観るきっかけは、「大泉洋が出ているから」。
正直それだけだった。けれど、終盤に彼が放つ一言──「描け」が、まるで自分に向けられたようで、深く胸に残った。
東村アキコの自伝的原作を、東村自身が脚本に──リアルとフィクションの境界線
『かくかくしかじか』は、漫画家・東村アキコが自身の青春時代と、恩師・日高健三との関係を綴った自伝的コミックが原作。
映画化にあたり、東村本人が脚本と美術監修を務めたことが大きな話題となった。
主役の明子には永野芽郁、そして“あの人しかいない”というリクエストで恩師・日高を演じたのが大泉洋だった。
監督は関和亮。YOASOBIや藤井風のMV演出で知られ、映像美と感情表現に定評があるクリエイターだ。
「美談」にしなかった理由──“描け”は命を削って伝えた最後の言葉
映画のクライマックス、日高先生(大泉洋)は病床にありながら、生徒・今ちゃん(鈴木仁)のライブペイントを見に行く。
ろくに歩くこともできない体で、顔色も悪く、もはや「教師」ではなくただの「人」としてそこにいる。
そんな中、キャンバスの前で立ち尽くす今ちゃんに向かって、大泉演じる日高は、力を振り絞ってこう言う。
「描け」
その一言に込められたのは、技術指導でも叱咤でもない。
もう自分は教壇に立てない。けれど、君たちはまだ描ける──だから逃げるな、という祈りにも似た言葉だ。
それをあとから知った主人公・明子が、顔を覆って泣くシーン。
美談として整えられた涙ではなく、どうしても伝えきれなかったことへの後悔がにじむ、現実の“重さがあった。
大泉洋という俳優が体現した、“教える側の孤独”と“見返りのない愛情”
大泉洋がこの役で見せたのは、「厳しいけれど愛がある教師」などという薄っぺらいものではない。
彼が演じた日高は、言葉は荒く、指導もスパルタ。でもそれは、どこまでも不器用な愛情表現だった。
特筆すべきは、大泉の演技が説教臭くないこと。
怒鳴るときも、静かに語るときも、そこには常に「後悔しないように生きろ」という信念が通っている。
あの「描け」という一言に至るまでの積み重ねが、じわじわと効いてくる。
大泉洋という俳優がここまで役と一体化するのは、珍しくない。
だが、今回の彼は「日高健三」そのものであり、東村アキコが過去に出会った実在の人物を、生きたまま映画に蘇らせたような説得力があった。
恩師との物語なのに、“自己肯定”では終わらせない潔さ
本作が他の“感動作”と決定的に違うのは、恩師との思い出を自己肯定の材料にしていない点だ。
「先生がいたから私は成功できた」ではなく、「もっとちゃんと向き合っていればよかった」「あのときの自分が恥ずかしい」──
そんな痛みを含んだ感情が、静かに流れてくる。
そしてそのリアルさを支えているのが、大泉洋の“優しすぎない”演技なのだ。
「観るか迷う人」こそ、観るべき映画
「恩師との話とか興味ない」
「泣ける映画はちょっと…」
「ただの青春ものじゃないの?」
そう思っている人こそ、この映画を観てほしい。
なぜなら本作は、「人との距離」や「後悔」について、自分自身の記憶を呼び起こさせるタイプの映画だからだ。
正解も、救いも用意されていない。
ただ、あの「描け」という言葉が、いつかの自分に重なってくる。
大泉洋の俳優論×東村アキコ作品──なぜこの組み合わせが最強なのか?

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大泉洋は、これまでコメディからシリアスまで幅広く演じてきたが、実は「実在の人物の情熱や痛みを背負う役」において、群を抜いた力を発揮する。
例えば『探偵はBARにいる』シリーズでは、軽妙なトーンの中に社会の闇や人間の哀しさをにじませる絶妙なバランス感覚を見せた。
一方、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では家族への愛情と後悔を、言葉数少なく演じ切った。
そんな大泉が、東村アキコという笑って泣ける”作風を極めた作家と出会ったとき、ただの感動ドラマでは終わらない映画が生まれた。
東村の作品は常に、ギャグとシリアス、感情の明暗を激しく揺さぶる構造をしている。
その緩急を的確に演じ分けられる俳優は限られるが、大泉洋にはその「体温のあるリアリズム」がある。
つまり、このキャスティングは単なる“話題性”ではなく、
作家の人生観×俳優の人間力が合致したからこそ成立した、稀有なマッチングだったのだ。
まとめ
映画『かくかくしかじか』は、美談ではない。
描きたかったのは、「感謝」よりも「後悔」であり、
そしてその後悔を通じてしか得られない、ほんのわずかな赦しなのかもしれない。
そのメッセージを、観客にまっすぐ届ける役を担ったのが、
他でもない大泉洋の「描け」だったのだ。
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