2025年春、日本テレビ系の学園ドラマ『なんで私が神説教』で、ひときわ存在感を放っている若手女優がいる——清乃あさ姫だ。クラスの“いわゆる一軍”グループの中心人物・綿貫陽奈を演じる彼女は、リアルとフィクションの間を巧みに渡る演技力で、SNS上でも「誰、この子?」「演技が妙にリアルで怖いほど」と話題沸騰中。
しかし、彼女の素顔は、ドラマのキャラクターとはまるで別人。そのギャップの裏には、これまで積み上げてきた経験と、名優たちから受け取った“教え”がある。今回は、そんな清乃あさ姫の成長の軌跡と、これからの夢について掘り下げていく。
◆ 一軍女子を演じるリアルと葛藤
ドラマ『なんで私が神説教』で清乃が演じる綿貫陽奈は、いわゆる「クラスカーストのトップ」に君臨するタイプの女子高生。友達とつるむのが好きで、人をいじるテンションが時に“いじめ”にも映りかねない絶妙な役どころだ。
「自分では、1ミリも似てないと思ってます(笑)。友達と過ごすのは好きだけど、綿貫みたいな強めキャラとは真逆。高校時代も“〇軍”なんて意識なかったし、仲良い子と自然に過ごしてた感じです。」
そう語る清乃にとって、今回のキャラクターは“等身大の自分”から遠い存在。だからこそ、「どうすればリアルに見えるか」「“嫌な奴”に見えすぎないバランスをどう取るか」が挑戦だったという。
◆ 広瀬アリス&すず、憧れの背中から受け取ったもの
清乃あさ姫の所属する事務所には、2人のビッグネーム——広瀬アリス&広瀬すずがいる。奇しくも、清乃はこの1年で2人とそれぞれ共演を果たした。
📍 すずから学んだ「礼儀」の品格
『クジャクのダンス、誰が見た?』で広瀬すずと初共演。共演を通じて印象に残ったのは、芝居の巧さ以上に“人としての美しさ”だった。
「ロケバスで、運転手さんがカーテンを閉めてくれた時、すずさんは即座に“ありがとうございます”って。誰にでも自然に感謝の言葉をかけてて…カメラが回ってないところでも素敵でした。」
📍 アリスとの距離が縮まった瞬間
一方、アリスとの関係は少しずつ育まれたもの。何度かの共演を経て、最近ようやく「あさ姫!」と呼び捨てされるように。これが嬉しくて、つい現場でニヤついてしまったそうだ。
「アリスさんは“現場の空気を読める人”。疲れた空気を変えようと冗談を言ってくれたり、スタッフの荷物を率先して運んだり…。優しさが自然体なんです。」
清乃が目指す“人に好かれる女優”像は、まさにこの2人の先輩から受け取ったものに重なる。
◆ 学園ドラマへの強い憧れ
清乃がこの世界に入った当初から強く願っていたのが、「学園ドラマへの出演」。
「『35歳の高校生』が好きで、“いつか自分も制服着て出たい”ってずっと思ってました。だから今回のお話をいただいたときは、本当に嬉しかったです。」
同世代の役者たちが多く、現場の雰囲気も和気あいあい。互いに刺激を与え合える環境に、「毎日が学び」と語る。
◆ 演技との出会いは“メイキング映像”
清乃の俳優人生は、少しユニークなスタートを切っている。小学生の頃に観た映画『ハリー・ポッター』のメイキング映像に強く惹かれ、「芸能界って面白そう」と思ったのが原点だ。
「“作られてる世界”に入りたいっていう憧れから、だんだんと演じる側に興味が出てきて。大学に入ってから本格的に動き出しました。」
演技の学び方もまたユニークだ。
「社長から“まずは真似から始めろ”って言われたので、現場での先輩の芝居を頭に刻んで、自分の中に落とし込むようにしています。」
悩んだ時は、「あの人だったらこう言うかな?」と“脳内召喚”して乗り越えるという。
◆ 北香那、そして松山ケンイチとの縁
演技面で“この人はすごい”と感じた相手のひとりが、北香那。大河ドラマ『どうする家康』で母親役を演じた北の、立ち姿ひとつで伝わる芝居に衝撃を受けた。
「セリフがなくても、存在感で“うまい人だ!”って分かる。あのオーラを持ちたいなって思いました。」
また、松山ケンイチとの偶然の“再会”も大きな思い出に。
「『家康』でも『クジャク』でも、ラストシーンが松山さんとの共演で。“あれ、前も一緒だったよね?”って言ってくださって…気づいてもらえて嬉しかったです!」
◆ “是枝作品に出る”という夢と覚悟
清乃が最近大きな影響を受けたのが、映画『怪物』(是枝裕和監督)。映像美・空気感・セリフの間——どれもが衝撃だったという。
「言葉にしきれない感情が詰まっていて。ああいう作品に出られるような役者になりたいです。」
また、『ファーストキス 1ST KISS』のような明るい作品も大好きで、ジャンルを問わず「この子を使ってみたい」と思わせる俳優になることが今の目標だ。
若手女優に求められる“透明感”とは?清乃あさ姫に見る次世代スターの兆し
「透明感のある女優」。この言葉がキャスティングや広告業界で頻繁に使われるようになったのは、ここ10年ほどの傾向だ。
清潔感、純粋さ、感情の余白……どこか“見る側の想像力を引き出す存在”が求められている時代。そんな中で清乃あさ姫のような存在は、次なる女優像を象徴するキーパーソンかもしれない。
彼女の演技には、“見せすぎない強さ”がある。役として感情を出すときも、決して過剰にならず、どこか引き算の美学を感じさせる。それはまさに、是枝作品や坂元裕二作品のような、“余白で語る作品”にフィットする資質といえるだろう。
さらに、彼女は「現場で学ぶこと」を何より大切にしている俳優だ。芝居の勉強を学校でなく、“空気”や“佇まい”から吸収しているのだという。こうしたスタイルもまた、SNS時代の「即答型学習」とは一線を画す、静かな学びの姿勢だ。
とはいえ、今後は“透明感”だけでは通用しない壁にも直面するはずだ。
より深い役、汚れ役、社会性のある題材への挑戦……そこをどう越えていくか。彼女のキャリアはまさに今、“表現の引き出し”を増やすフェーズに差し掛かっている。
清乃あさ姫という女優の価値は、「どんな役でもこなせる万能型」ではなく、「この役は彼女にしかできない」と思わせる唯一無二性の確立にある。その一歩として、『神説教』で見せた“嫌な女子”の演技は、ある種の通過儀礼だったのかもしれない。
今後、清乃がどういう“色”をまとっていくのか——。それは、業界関係者だけでなく、視聴者自身の感性にも試される問いとなるだろう。