冷酷なサイコパスを演じた先に――宮世琉弥の“演じる痛み”と覚悟
俳優・宮世琉弥(みやせ・りゅうび)が、新境地ともいえる“冷徹で感情のない悪役”に挑んでいる。
話題のドラマ『いつか、ヒーロー』では、人の心を巧みに操るサイコパス・氷室を熱演。その狂気的な存在感が視聴者の心をざわつかせているが、実はその裏で、彼は役柄とのギャップに苦しみながらも、“俳優としての成長”を見据えていた。
「正直、撮影が終わるたびに落ち込むんです」と明かす宮世。その理由は単純ではない。演じるキャラクターの心の“空虚さ”に、自らを重ねすぎてしまうからだ。
「人の死を淡々と眺める、感情のない目。そこに自分の感覚を染み込ませないようにするのが、本当に難しいんです。役を終えても、その影がしばらく心に残る感覚があって…」
彼が語るのは、単なる“演技の大変さ”ではない。作品と本気で向き合う姿勢そのものであり、役者としての覚悟の表れだ。
一人の俳優として「空っぽな役」に挑むということ
氷室というキャラクターは、喜怒哀楽の欠片すら見せない。その演技に必要なのは「削ぐ」こと。感情を乗せない“無の表現”こそ、宮世がこの役で最も苦労した部分だった。
「言葉は話してるんだけど、そこに想いを込めちゃいけない。自分が“読み上げ機械”になったみたいな感じです。感情を入れると氷室じゃなくなってしまうんです。」
普段の明るく朗らかな宮世琉弥からは想像もつかない、真逆の役柄。にもかかわらず、彼はこの難題に立ち向かうことで、かえって「演じるということの本質」に近づいたと語る。
芝居の道に“ゴール”はないからこそ、焦りが成長を生む
10代で俳優の世界に飛び込んでから、6年。数多くの作品に出演してきた彼だが、今なお「自分の演技に満足したことはない」と話す。
「毎回、オンエアを見るのが怖いんです。“ここ、もっとこうできたのに…”って反省ばっかり。でも、その悔しさがないと止まっちゃう気がして。焦りが、次のステップに繋がってると信じてます。」
俳優という職業は、完成がない仕事。台本に描かれた人物に、自分の命をどう吹き込むか。そこに唯一の“正解”はない。だからこそ、演じるたびに学びがあり、終わりがない。
現場の「支え」が重圧から救ってくれる
そんな彼を支えているのが、共演者の存在だ。主演の桐谷健太との共演について「まさにヒーローのようだった」と語る宮世は、現場での桐谷の気遣いに何度も救われたという。
「しんどい役だからこそ、桐谷さんが“普通の会話”をしてくれることにすごく救われてました。肩の力を抜いてくれて、ああ、戻ってこれる場所があるんだって。」
本気で役に入り込むからこそ、ふとした瞬間の「人とのやりとり」が大きな支えになる。俳優という孤独な仕事において、“現場の空気”は何よりの栄養なのかもしれない。
「キングダムに出たい!」宮世琉弥が語る、これからの夢と野望
演技への情熱を語る宮世だが、その目はすでに未来を見据えている。近年の出演作では、映画『アンダーニンジャ』『顔だけじゃ好きになりません』など、幅広いジャンルを経験。だが、彼がいま“本気で出たい作品”があるという。
「僕、漫画やアニメが大好きで。実は『キングダム』の大ファンなんです! いつか、あの世界に入り込みたいという気持ちがあります。兵士でもなんでもいいので(笑)」
彼が見つめるのは、自分自身が本当に“心から好きだ”と思える作品。その想いがある限り、俳優としての歩みは止まらない。
宮世琉弥が演じる“闇”の先にある光
“演じること”に正解はない。だが、そこに真摯に向き合う人間の姿には、誰もが心を動かされる。
冷徹なサイコパスを演じながらも、役の痛みを抱え、演じた後に「落ち込む」と語る宮世琉弥。その素顔は、繊細で真面目で、そして誰よりも「役を愛する」俳優だった。
これから先、彼がどんな役と出会い、どんな物語を生きるのか。彼の“次なる挑戦”が、今から楽しみでならない。
なぜ“悪役”は俳優を成長させるのか?
近年、多くの若手俳優が“悪役”を通じて演技の幅を広げるケースが増えている。その背景には、悪役こそ人間の複雑な感情や背景を表現できる“役者冥利に尽きる”ポジションであるという認識がある。
冷酷さ、弱さ、狂気、孤独――ヒーローよりも遥かに“内面を掘り下げる”必要がある悪役は、俳優にとって一つの壁だ。今回、宮世琉弥が挑戦した「サイコパスで感情のない冷徹な男」という役も、その典型例だろう。
実は、こうした役を演じるには演技力だけでなく、自己コントロール能力が求められる。役柄が濃ければ濃いほど、演技が終わったあとに“戻ってこられる”メンタルの強さが必要だ。宮世が語った「撮影後に落ち込んでしまう」という言葉の裏には、彼が本気で役と向き合った証がある。
また、“悪役”というフィルターを通して社会の矛盾や人間の本質を描くことも多く、その表現力は俳優としての真価が問われるものでもある。
宮世琉弥が今回得た経験は、間違いなく今後の俳優人生において大きな財産となるだろう。彼がこれから演じる役のどこかに、氷室の“片鱗”が息づく日が来るかもしれない。