音楽

自作封印という選択――椎名林檎『禁じ手』全11曲と豪華共作者の全貌

自作封印という選択――椎名林檎『禁じ手』全11曲と豪華共作者の全貌

2026年3月11日にリリースされる椎名林檎のニューアルバム『禁じ手』は、これまでのキャリアの中でも明確なコンセプトを掲げた作品だ。

最大の特徴は、椎名林檎自身の単独名義による作曲を行っていないという点にある。本作に収録されるのは、他アーティストの楽曲、あるいは他プロデューサーとの共作のみ。

長年、日本の音楽シーンで独自の立ち位置を築いてきた彼女が、あえて「自作を封印する」という選択をした背景には何があるのか。その問いは、全11曲を通して徐々に輪郭を帯びてくる。







『禁じ手』は“企画盤”ではない

まず押さえておきたいのは、『禁じ手』が単なるコラボレーション集や企画アルバムではないという点だ。参加アーティストは、伊澤一葉、MILLENNIUM PARADE、BIGYUKI、三宅純、伊秩弘将、加藤ミリヤ、向井秀徳と、ジャンルも世代も横断している。しかし、その多様性は雑多さにはつながっていない。

椎名林檎はここで「作り手」として一歩退き、「歌い手」「解釈者」「共犯者」として楽曲に向き合っている。その姿勢が、アルバム全体に独特の緊張感と統一感を生んでいる。

収録曲と共作者一覧(全11曲)

  1. 至宝 / 三宅純 × 椎名林檎

  2. 苦渋 / 伊秩弘将 × 椎名林檎

  3. 芒に月 / 伊澤一葉 × 椎名林檎

  4. 覚め醒め / BIGYUKI × 椎名林檎

  5. W●RK / MILLENNIUM PARADE × 椎名林檎

  6. SI・GE・KI / 向井秀徳 × 椎名林檎

  7. 2○45 / MILLENNIUM PARADE × 椎名林檎

  8. 秘め初め / BIGYUKI × 椎名林檎

  9. 松に鶴 / 伊澤一葉 × 椎名林檎

  10. 愛楽 / 加藤ミリヤ × 椎名林檎

  11. 憂世 / 三宅純 × 椎名林檎







向井秀徳「SI・GE・KI」が持つ意味

本作で最も話題性が高い楽曲のひとつが、向井秀徳との共作「SI・GE・KI」だ。この曲は、向井が率いる**ZAZEN BOYS**が2004年に発表した楽曲として知られている。

椎名林檎は、2025年9月に福井で開催された音楽イベント**ONE PARK FESTIVAL 2025**にて、この楽曲をステージで歌唱している。原曲の持つ反復性と身体性を尊重しつつ、椎名の声によって再構築された「SI・GE・KI」は、原曲への敬意と再解釈が高い次元で両立した一曲となっている。

多彩な共作者が映し出す椎名林檎の輪郭

MILLENNIUM PARADEとの「W●RK」「2○45」では、現代的で無機質なサウンドスケープの中に、椎名林檎の言葉が鋭く刻まれる。一方、伊澤一葉との「芒に月」「松に鶴」では、日本語の抑揚や余白を生かした構築が際立つ。

BIGYUKIとの「覚め醒め」「秘め初め」は、リズムと音色のうねりが前面に出た楽曲で、声そのものが楽器として機能している印象を受ける。そして、三宅純との「至宝」「憂世」は、アルバムの始まりと終わりを担い、『禁じ手』という作品の世界観を静かに、しかし確実に規定している。







なぜ今「自作封印」なのか

キャリアを重ねたアーティストが、自らの創作手法に制限を課すことは珍しくない。しかし『禁じ手』が特異なのは、その制限が表現の縮小ではなく、拡張として機能している点にある。

自分の語彙、自分のメロディ、自分の癖。それらを一度手放すことで、椎名林檎は他者の構造や思想を引き受け、その上でなお「椎名林檎であること」を証明してみせる。これは技巧の誇示ではなく、表現者としての成熟がなければ成立しない選択だ。

『禁じ手』が示す未来

『禁じ手』は、過去作の延長線上にある作品ではない。むしろこれは、椎名林檎がこれまで築いてきた作家性を一度フラットにし、その上で再配置するためのアルバムだと考えられる。

他者の楽曲を歌うこと、共作に身を委ねることは、自己表現の放棄ではない。それは、自分という存在が「どこまで他者と混ざり合えるのか」を試す行為でもある。

全11曲を聴き終えたとき、リスナーの耳に残るのは、多彩な共作者の音楽性と同時に、どの曲にも確かに存在する椎名林檎の輪郭だ。

『禁じ手』は、制約を創造へと反転させたアルバムであり、同時に次のフェーズへの助走でもある。その静かな挑戦は、時間をかけて評価されていくタイプの作品になるだろう。