✅ 導入:えっ、吉田戦車って「不条理ギャグ漫画家」じゃないの?
「吉田戦車」と聞いて、あなたがまず思い浮かべるのは、おそらく『伝染るんです。』だろう。
謎のかわうそ、かっぱ、カブトムシの“斎藤さん”――日常と地続きでありながら、常軌を逸したキャラクターたちが織りなす不条理ギャグ。90年代の漫画シーンを揺るがしたそのスタイルは、いまなお“異色作”として語り継がれている。
だが、2020年代の吉田戦車は少し違う。
雑誌『クロワッサン』では、自身が娘のために毎朝作った“お弁当”をテーマにしたエッセイ漫画『弁当を作る男』を連載。さらには『親GoGoGo』など、家族や日常を題材にした作品が続く。
え? あの吉田戦車が、家庭的な日常モチーフを?
ギャグ漫画界の“異端児”が、なぜ“パパの顔”で描くようになったのか――。
その背景を紐解くと、浮かび上がるのは、吉田戦車の笑いに潜む“計算”と“合理性”だった。
✅ 1. 『伝染るんです。』の革命:4コマ漫画に仕掛けた構造的パンク
『伝染るんです。』が連載を開始したのは1989年。当時の4コマ漫画といえば、「起・承・転・結」の鉄板フォーマットが当たり前だった。が、吉田はその構造に真っ向から反抗する。
たとえば、多くの作品では最初のコマがすでに“オチ”のような異様な場面から始まり、そのまま突き抜ける。説明や前置きはない。読者は、ある日突然、奇妙な世界のただ中に放り込まれるのだ。
この“出オチ構成”は、当時の漫画文法を根底から揺さぶった。そして何よりすごいのは、それを週刊ビッグコミックスピリッツというメジャー誌で堂々とやってのけたこと。破壊と実験を、笑いに昇華したパイオニア。それが若き日の吉田戦車だった。
✅ 2. 吉田戦車は「不条理」じゃない!?笑いの構造を読み解く
「吉田戦車=不条理ギャグ漫画家」というラベリングは、半分正しいが、半分は誤解だ。
確かに、『伝染るんです。』の世界は現実離れしているように見える。だがよく読めば、そのギャグの多くは言葉のズレ、行動の誤解、日常の違和感といった、非常に論理的な要素で組み立てられている。
例えば、言い間違いをきっかけに巻き起こる勘違い劇。感受性が強すぎる虫たちのコミュニケーションの断絶。それらは偶然ではなく、明確な意図と構造に基づいて“ずらされて”いる。
吉田の笑いは、“わけのわからない世界”を描くのではない。わかりそうでわからない境界線をつくることで、読者の脳に“考える余地”を残し、笑いへと変えるのだ。
これはむしろ、不条理よりも“緻密なナンセンス”。
偶発性に頼るのではなく、理性で構築されたギャグ世界――そこにこそ吉田戦車の真骨頂がある。
✅ 3. なぜ今、“父の弁当”を描くのか:日常エッセイへの転向とその意味
さて、そんな吉田戦車が、なぜ“父として弁当を作る日々”を描くようになったのか。
『弁当を作る男』は、娘が中学生だった頃の実体験をもとにしたエッセイコミック。朝のバタバタ、慣れないおかず作り、思春期の娘との距離感――リアルでありながら、どこかシュールな視点が光る。
『親GoGoGo』もまた、日常の中にある“地味な非日常”を丁寧にすくい取る作品だ。
例えば、買い物中のちょっとした言い間違い、家庭内ルールの齟齬、SNS世代の息子とのギャップ…それらは爆笑こそしないが、「あるある!」と膝を打ちたくなる。
そう、吉田戦車が描いているのは“非日常そのもの”ではなく、日常と非日常の「わずかな隙間」なのだ。
そして、その視点は『伝染るんです。』の頃から、実はずっと変わっていない。
✅ 4. 本質は変わっていない:吉田戦車の“笑いの設計図”
題材こそ変わっても、吉田戦車の根本はブレていない。
彼の描く“笑い”は、昔も今も「人間の不完全さ」から生まれる小さなズレだ。
それを4コマで描くか、エッセイで描くか。ジャンルは変われど、“人と人の間に起こる微妙なズレ”を拾い上げる手つきは変わらない。
不条理ではなく、計算されたズレ。
シュールではなく、緻密な構造。
そこにこそ、吉田戦車という作家の凄みがあるのだ。
▶︎吉田戦車と「父性マンガ」ブームの接点
──なぜ今、“父親”が主役なのか?現代マンガ潮流との比較分析
近年、エッセイ漫画のジャンルでは、「父親目線の家族マンガ」が静かなブームを迎えている。
益田ミリの『すーちゃん』シリーズに見る家族の機微、細野晴臣のエッセイに通じる“やさしい孤独”、あるいは、よしながふみ『きのう何食べた?』に見る“家庭内の食と感情の結びつき”。
吉田戦車の『弁当を作る男』もまた、こうした“日常の親密さ”を描く現代潮流に自然に合流している。
しかし彼が他と違うのは、どこか醒めた観察者の視点と、毒を帯びた笑いの匙加減だ。
笑いながらも、どこかで自分を客体化している。
それは、育児や家事に“振り回される”男性のリアルであり、笑いの裏に潜む照れや不安をも丁寧に描く。
つまり、吉田戦車はただ家庭的な父親を描いているのではない。
家庭という“非日常”に巻き込まれた男の視点を、冷静に、でも愛をもって描いているのだ。