演劇 『三月の5日間』リクリエーション口コミ感想ネタバレ 演劇 『三月の5日間』リクリエーションあらすじ 公開上映中おすすめ舞台ミュージカル
「みなさんの出てくるときの歩き方、客席を眺めて立つ立ち方、佇まいがおもしろかった!」「ーパーデラックスの初演と役者さんの男女比が入れ替わってた!」「同世代みんな観た方が良いと思った!」
上映中【2017年12月1日(金)~12月20日(水)公開】
演劇 『三月の5日間』リクリエーションとは
「今はむかし、二〇〇三年三月の、イラク戦争が開戦した頃の東京を舞台にした芝居です。このひとむかし前の戯曲を新しい仕方で、若い(かつ力強い)七人の役者によって上演します。テキストも案外と大幅に書き換えて。二〇一七年十二月の日本で『三月の5日間』が上演されることは何を引き起こすでしょう?
キャスト |
朝倉千恵子/石倉来輝/板橋優里/渋谷采郁/中間アヤカ/米川幸リオン/渡邊まな実 |
スタッフ |
作・演出=岡田利規 |
入場料・上演時間・その他 |
入場料金 全自3,500円/当日4,000円 *24歳以下・高校生以下料金あり 上演時間 約1時間30分 |
演劇 『三月の5日間』リクリエーションを観た人の感想、評価、口コミ
チェルフィッチュ「三月の5日間」リクリエーション@KAAT。みなさんの出てくるときの歩き方、客席を眺めて立つ立ち方、佇まいがおもしろかった。2人の女優さんが、泣きそうな顔でセリフを言ってた。
憧れの!チェルフィッチュ「三月の5日間」観てきたよおおおおおおおおおおおおおんんんんn満足
チェルフィッチュ『三月の5日間』経験してなにか凄いものを見てしまったという衝撃とそれを処理しきれていないという事実とがひたすらに押し寄せて何かに掴まらないと崩れ落ちてしまいそうな恐怖と何かしなければという焦りに直面し襲われている
「この数年は「現象」のようなものを舞台で起こして、その経験を観客に与えるってことをすごくやってきた。(略)「こういうのはこれでやめにしようかな」って思いました」と岡田利規さん答えてますが、想像力に関わる演出メソッドの完結編が今回の『三月の5日間』になるかも。そういう意味でも必見。
チェルフィッチュがselfishの幼児語であったことを最近知った僕がまだ幼かった頃に勃発したイラク戦争(2003年)を僕と同じように間接的にしか知りえないU-25の役者によって演じられた「三月の5日間」リクリエーションは、今は亡きツインタワーにワイヤーを通して、綱渡りに興じたあの男のように
『三月の5日間』リクリエーションは、オリジナルからさらに、言語と身体の紐帯を引き攣らせる演出になってたと思う。今回の役者がこの戯曲をどんな感覚で発話してるのか、インタヴューが読みたい。
三月の5日間』はやっぱり、普遍の革命だった!
テキストや映像でしかみたことない人(私)にぜひみてほしいです。20日までKAAT。
チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション@KAATめちゃくちゃおもしろかったのだけど、キャラクターが俳優の身体からでなくテクストから立ち上がってくるような感覚が初めてだった。一人称と三人称がくるくると転じ続ける現代口語によって現れては消える日本的幽霊。
KAATでチェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション。直接・間接の話法の間をゆらゆら揺れながら語られる話の最中に突如元話者の語りが現れては消え、かと思うとそれが複数の俳優の間で往還したりもする独特な語りのダイナミズムは戯曲や小説版を読むのとはやはり大きく違うインパクトを受ける。
身体所作のほうはというと、これも、かつての「チェルフィッチュ演技」が、「ダラダラ・挙動り」が「ダンス」に見えなくもないよね、というものだったとしたら、これは、予め「ダンス」、即時的に「ダンス」、という感じ。踊りながら発話する、というか。ダンス自体は魅力的だが。
役を「演じる」のではなく「語る」のだ。あくまで語りの中における、だから限りなく間接話法に近い直接話法。でも、そのいわば「ごっこ」として「柄にもない」ことを思い切り楽しんでます!感はあって、そのようなものとして個々の俳優の振る舞いはそれぞれに魅力的だった。
今回は、スピーカーに女性を配したこともそうだが、間接話法から直接話法に移行してもその俳優がその人物になる、ということが起こらない。そもそも2003年を知らない2017年の身体だし。その意味では普通の演劇、シェイクスピアの上演とかと条件は同じ。
三月の5日間リクリエーション』。総じて俳優自身と役(テクストのテクスチャー)の乖離・断絶が顕著。オリジナル版では、スピーカー(間接話者)役も含めて、俳優自身がいかにも「そういう話をしそうな/そういう人物ぽい」キャラで、それゆえ俳優の現前=表象の遂行という構造だった。
KAATでチェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション。直接・間接の話法の間をゆらゆら揺れながら語られる話の最中に突如元話者の語りが現れては消え、かと思うとそれが複数の俳優の間で往還したりもする独特な語りのダイナミズムは戯曲や小説版を読むのとはやはり大きく違うインパクトを受ける。
三月の5日間 リクリエイテッド版』@KAAT。再演とも違うのでいろんな見方ができる舞台だと思うけど、とにかく目の前の若い役者たちの姿がみな良かった! おそらく彼女/彼たちは日々変わり続けているのだろう。再度観る予定だから楽しみ。
『三月の5日間』、いわゆる「チェルフィッチュ」は過去のものとなった、20周年という節目に為された決別の宣誓、その象徴としての第一声。そこにおれは乗れないが、男たちと終幕を告げる女のよさをどう説くべきか。本作は手放しの絶賛からは遠く離れた地平にあり、むしろそれらを拒絶するためにある
チェルフィッチュ『三月の5日間』を初めて見たのは2011年。舞台上の全員が年上で「少し前の出来事」として受け容れていた。でも今日の上演を見て当たり前だけど、全員が若くて。年とったなあ自分と時代の変わらなさに気づく…。
チェルフィッチュ『三月の5日間』
台詞と身体がちぐはぐにみえて有機的な結びつきを持っているのはたしかに感じた。それが現在に順応した演劇だというのもわかる。それでも観つづけることができなかったのはなぜだろう。もちろん台詞や動きが一辺倒になりがちだというのはあるけども。
学会後唯一観られたチェルフィッチュ「三月の5日間」。いい舞台でした!!初演は2004年、2003年3月イラク戦争開戦時の東京の若者を描いていますが、今、極めてアクチュアルな内容。コミカルさも加えながら刹那的な日常を淡々と提示することで、かえって説得力のある問題提起になっています!
舞台空間の奥行きを示す斜線上を役者が綱渡る。蜘蛛の巣のように地獄へ落ちないように糸に腰掛け、寝転がる。僕がそうであるようにイラク戦争を知らない世代によるベタな間接話法は元々の「三月の5日間」の技術的な語り構造そのものに一致する。リアルか技術なのか。これがシリアスな綱渡り。