チェルフィッチュ「三月の5日間」リクリエーション観劇。絵画的な舞台照明は後退し、かつて壁に張り付いた役者が全面化する。ミッフィーちゃんが眺める景色が火星(赤)ではなく、宇宙(青)であるように彼らの若さはシリアスな空回りに、複数の弱い身体は関係性のブリコラージュからイメージを練成する。
「三月の5日間」@KAATみました!時空を超えた舞台でした。特にミッフィーちゃんのシーンは、役者さんの仕草、喋りが内容にぴったりで、劇場ごと宇宙船になったかのようでした。爆笑してしまうシーンも多々あり笑 役者さんのフラットな話し方は客側が想像する余地が沢山あって心地よかったです。
チェルフィッチュって(に限らず)いっつも感想がうまく言えないのだけど、今回は代表作ってこともあり、あ、これこれ!って感じで楽しめた。動きが若い役者さんならではの説得力で妙にリアルで好きだったな。トラフの美術も何もないようだけど存在感あってかっこよかった。
『三月の5日間』リクリエイテッド版、初チェルフィッチュでした。かなりガツンと来た。塊のようにうごめく若者たちの限界のなかに、(それゆえの)希望がキラキラと鈍く光るかのような…ぶらされて漂白されて、気持ちがだいぶ楽になった。やっぱりアニメーションと演劇は近いのだなと実感した部分も
チェルフィッチュ「三月の5日間」リクリエーション@KAAT。みなさんの出てくるときの歩き方、客席を眺めて立つ立ち方、佇まいがおもしろかった。2人の女優さんが、泣きそうな顔でセリフを言ってた。
5日間が終わっってしまったら渋谷ももういつもの渋谷になるみたいに、もうさっきまでの様には見えないんだなと思ったら、急にどうしたわけか凄く苦しくなって、凄い苦しくってだからやっぱり『三月の5日間』は凄かった。火星に行きたい。
チェルフィッチュ「3月の五日間」最高だった。普通と普通じゃない/変と変じゃない/日常と非日常を往き来する凄い90分。スーパーデラックスの初演と役者さんの男女比が入れ替わってた。それでも成立つ構造すごい!
チェルフィッチュ『三月の5日間 リクリエイテッド版』、観劇二回目! 来てよかった! というかもう一回、観たい。やっとほんの少し、何かを受け取れた気がする。批評再生塾のみんなには舞台を俯瞰できる後方じゃなくて、俳優のヴァイブスを強く感じられる前方の席をおすすめするよ。僕的には。
KAATにてチェルフィッチュ『三月の5日間』
うまく表現はできないんだけど、言葉にうまくできないもやもやがいっぱい残っているということは、よかったんだと思う
三月の5日間、2003年のぼくは渋谷近辺に住む東京の高校生だったのだけど、当時漂っていたかもしれない、宙吊りの空間で生まれる祝祭の空気を想起した。でもそれより、2017年の現在ではもう「特別な時間」が完全に終わってしまったんだなという悲しみが前景化されて見えた。火星に逃げたくなった。
三月の5日間:新婚のジョンとヨーコはベッドで平和について記者と語り合ったわけだけど、三十年後の渋谷のラブホでは愛を広める2人のパフォーマンスとは反対のことが起きていた…のかな?
チェルフィッチュ『三月の5日間』とても良かった。はじめて生で観たけど、この作品の何が凄いのか肌で感じられた。朝倉さんグルーヴしてた。
U24チケットまだ取れるのかな?とにかく同世代みんな観た方が良いと思った。
チェルフィッチュの三月の5日間を観劇。2003年の 空気感は今とだいぶちがうんだなぁと痛感。
あの頃世の中がこんなになるとは思ってなかったよなぁ
チェルフィッチュ、観てきた。
この物語で語られる年に私はまさにニューヨークにいて、しかし語り口は今時の今で、身体がたくさんワープした。
三月の5日間の感想ではないんだけど、(観て思ったこと過ぎったこと全てを感想というなら感想だけど、)一年前の自分がこれを観ても感じなかった(という確信のある)感覚があって、受け取る側(の状態や性質)が作品に資する部分みたいなことを思ったし、作品から受け取るというか、受け取った結果が作品?みたいな、これは君の見ている青色と私の見ている青色が同じかどうかわからないみたいな話でもあり、「おいしい料理」は誰のもの?という話でもあり、まあなんか、そういう話?
三月の5日間』を観てきました。これからゆっくり言葉にしていきますが、DVDで観たときより多くのことを理解できたように思います。
『三月の5日間』を観た。実のところ戯曲でしか読んだことがなく映像ですらちゃんと観てなかったのだけど、「古い」という意味でなく古典だなこれはと思った。つまり七人の侍に対してこれスターウォーズじゃねと思うような感覚。
チェルフィッチュ「三月の5日間」観劇。感覚的だけど、下手側の2.3本目のラインの上に私はいるかもって思った。デモとか渋谷の.とか私の人生にあるようでまだ無いものなのに想像を貰ってるから体験したみたいな感覚になる、、
kaatにてチェルフィッチュ、三月の5日間、観劇。やはり際立つのがその文学性。間接話法、過去自制から、現在自制、直接話法へと緩やかに移行するその滑らかさ/異質さ。その技術的な試みは誰かが何かの役を演じる、そのような前提にまで侵食する。複数の人が単一の役柄を演じ、または外部から叙述する
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