始まりは堀内敬子
まず初めに、私自身は舞台やミュージカルについては素人であり、俄か程度の人間だと思ってご理解下さい。
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私がミュージカルというものに本格的に関心を持ったのは、10年前くらい前のことだ。
もともと音楽は好きで、中学からベースを始め、大学で上京してからも30を過ぎるまでバンドを続けていた。売れなかったけれど、プロになりたい気持ちは本気だった。当時から聞く耳や、魅力ある人は大体わかった。だからこそ自分の才能の無さも痛いほど分かった。でも音楽を楽しむ姿勢が高かったのも自負していた。
そんな私は、堀内敬子が役者として好きだった。
特に細かい理由はなく、演技や容姿など、直感的に好きだった。
20代終盤の頃だったか、当時、WEBメディアを個人的にやっているときに、映画のメディアの延長で少し気になる舞台やミュージカルのサイトもやっていた。
舞台やミュージカルでは芸能人も出演する事とが多く、気になった俳優さんや女優さんが、元は舞台やミュージカル出身者の事もあり驚くこともしばしばあった。
堀内敬子さんもその一人で、ドラマなどはよく見ていたのだけれど、舞台やミュージカルの姿は拝見したことがなく、ふと気になりはじめてYoutubeで動画を見漁って、堀内さんの魅力を再認識していました。
衝撃を受けた新妻聖子
そんな中見つけた一つの動画。ミュージカル『Bitter days,Sweet nights』の稽古風景動画。
その中で堀内さんと一緒に歌っていたのが新妻聖子さんだった。
新妻さんの歌唱力や表現力に圧倒され、衝撃を受けたのを今でも覚えている。
この二人の共演が最高で何度も繰り返し聞いたのを覚えている。そして我慢できなくなってDVDを探して購入した。
2025年現在でもたまに聴くほど好きだ。
ミュージカル界の凄さを再認識した笹本玲奈
堀内敬子さんに続き、新妻さんの動画の漁っている中で、次に飛び出してきたのが笹本玲奈。
舞台「プライド」で新妻さんと並んだ瞬間、私は驚愕した。どちらも異なるタイプの表現者なのに、舞台の“温度”が揃っている。技術でも演出でもなく、声の奥にある人格と物語が響き合っている。「これがミュージカルの世界なのか」と、正直、ショックを受けた。
音楽と芝居が融合するとは、こういうことか。自分はずっとロックをやってきたけれど、“声”でここまで感情を描ける人たちが日本にいたのかと、心の奥から震えた。
音楽をやってきた「素人の耳」でも分かること
私は専門家ではない。けれど、音楽をやってきた人間として、「良い音」と「生きた音」は違うということを知っている。ミュージカル女優という肩書を超えて、彼女たちの歌は“魂の音”を持っていた。
このお三方は、興味を持った時期の物凄い短期間に出会った。
こんな短期間にこれだけの凄い人達が居るなんて、ミュージカルはどんだけバケモノが存在しているんだ!?と怖くなったほど。
テレビに垂れ流される消費されるだけのアイドル音楽なんかとは全く違う、芸術としての音楽であり歌声。
もっと早く知るべきだったと物凄く後悔した。
しかし─その後に現れなかった衝撃
あの3人を知ってから、私はミュージカルという世界を少しずつ掘り下げていった。動画を漁り、舞台のダイジェストを観て、名前を検索しては、若手の歌唱や演技にも触れた。
しかし、生活に忙殺され、深く浸れなかった日々を送っていました。
たまに御三方の活動は気になり、調べたり、見たりはしていました。
そして、最近になって少し時間をかけて最近のミュージカルを見ていたら、
気づいてしまった──数年経っても、あの衝撃に並ぶ存在に出会えない。
最初は自分のせいだと思った。
年齢を重ねて感受性が鈍ったのか、知らないだけで才能ある若手はいるのかもしれない。だが、いくら動画を見ても、情報を追っても、“心が震える”瞬間が訪れなかった。
もちろん、うまい人はたくさんいる。でも全く心が震えないし、踊らない。
そう思った時、何故か怖くなってしまった。なぜ貴方が怖くなるの?と思うかもしれない。私もそう思う。でも怖くなった。もう現れないのかと。
私は、今のミュージカル界から「生音の揺らぎ」が消えつつある気がして、ぞっとした。誰もが正しい歌を歌っているのに、なぜか血が通っていない。その違和感が、いつしか恐怖に変わった。
これは、私の耳が老けたのではない。本当に、表現の温度が下がっているのではないか──。
なぜ若手が育たないのか
冷静に考え、調べた。
この「停滞」には構造的な理由があるようだ。そこから調べてみた。
個々の俳優の問題ではなく、業界そのものの設計が変わってしまったのだ。
キャスティングの“安全運転化”
リスクを取る余裕がなくなり、主役級は実績あるベテランか、集客力のある芸能人で埋まる。かつての笹本玲奈が19歳で『ミス・サイゴン』を任されたような“賭け”は、ほとんど見られなくなった。
育成機関の空洞化
四季や東宝がかつて果たした“職人の学校”としての役割が薄れ、短期育成所ばかりが増えた。俳優たちは育つ前に現場に出て、消耗してしまう。
人気と実力の乖離
SNSでのフォロワー数がキャスティングの基準となり、声で勝負する人が埋もれる。
観客の安全志向
未知の才能に賭けるより、知っている名前に安心する。その心理が、“挑戦する舞台”を減らしている。
若手が育たないのではなく、「育つ土壌」が消えている。それが、日本ミュージカル界の“静かな停滞”だと思う。
黄金世代の条件
新妻聖子、笹本玲奈、堀内敬子。この三人が若い頃から突出していたのは、単に才能の問題ではない。彼女たちは「舞台で生きるしかない人たち」だった。
新妻聖子は“歌うために生きる人”。笹本玲奈は環境に甘えず、誰よりも舞台に対してストイックだった。堀内敬子は演技を“生き方”として身につけた。三人に共通するのは「覚悟の早さ」だ。
当時は若手を信じる文化があった。20代前半が主役を任され、失敗すら成長の糧として受け入れられていた。観客もまた、知名度より“体験”を信じていた。レビューやSNSより、自分の感覚が基準だった。
新妻、笹本、堀内の三人が輝いたのは、そんな時代の“温度”が彼女たちを育てたからだ。私が動画越しに感じた“生の圧力”は、まさにその残響だったのかもしれない。
声が“消えかけている”という恐怖
今の若手俳優を見ていると、誰もが上手い。ピッチも安定し、滑舌も良く、発声の基礎も整っている。けれど、足りない。それが率直な感想だ。
ミュージカルとは、音楽と演劇の“衝突”の芸術だ。新妻聖子の歌が強烈なのは、歌で感情を押し出すのではなく、感情があふれて歌になるからだ。笹本玲奈の凄みは、妥協なき実力、安定感、容姿がいいのも事実。堀内敬子の声は、温かみや人間味に溢れ、技術だけでは表せない魅力。それぞれが、楽譜に書けない音、生き方そのものの音だ。語彙力がなくて本当に申し訳ない。
最近の歌には、その“生音”が聞こえない。綺麗に歌い上げているのに、どこか安全。芝居の熱が音楽に移らない。どんなに技術が高くても、「声が生きていない」。
私は、これが一番怖い。声が消えるというのは、表現が死ぬということだ。録音では成立しても、舞台では致命的だ。
それは訓練の問題ではなく、文化の温度の問題だ。
育てる側も、観る側も、どこかで“熱”を忘れてしまった。だから私は、ミュージカルを見たいと思いながらも、チケット購入の指が止まる。「この作品に、あの“生きた声”があるだろうか」と考えてしまう。
今、期待される若手女優たち──“次の声”は確かに芽吹いている
ここまで、私は「若手が育っていない」と書いてきた。けれど、希望がまったくないわけではない。
むしろ、いまの舞台には静かに実力を積み重ねている人たちがいる。
たとえば、屋比久知奈(やびくちな)。
『モアナと伝説の海』の日本語吹き替えで知られるが、彼女の舞台での歌はまっすぐで、清潔で、嘘がない。技巧を競うのではなく、音を“信じている”タイプの歌い手だ。
彼女の声にはまだ若さの粗さもあるが、その“生っぽさ”がむしろ救いに感じる瞬間がある。
昆夏美(こんなつみ)も、間違いなく現代の実力者の一人だ。
『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』など、大作の現場で圧倒的な安定感を見せる。
彼女の魅力は、完成度の高さよりも“確信に満ちた声”だと思う。
一音ごとに覚悟がある。彼女の歌を聴いていると、「舞台で生きる覚悟」という言葉が頭に浮かぶ。
そして、ここ数年で存在感を増しているのが咲妃みゆ(さきひみゆ)。
宝塚出身でありながら、舞台に出るたびに“声の透明度”が増している。
彼女の声には、新妻聖子のような祈りと、笹本玲奈のような知性、そして堀内敬子のような温かさが、ほんの少しずつ宿り始めているように感じる。
もう一人挙げるなら、高畑充希。
彼女はテレビや映画の印象が強いが、歌と演技の往復ができる稀有な存在だ。
舞台に立つときの“息のコントロール”が見事で、セリフが音楽になる瞬間がある。
もし彼女が今後、さらに舞台に軸を置くなら、新しい世代の象徴になる可能性がある。
こうして見てみると、確かに「次の時代の種」はある。
ただ、それが花開くかどうかは、やはり私たち観客次第だと思う。
本気で声を聞き、本気で拍手をする人がどれだけいるか。
舞台というのは、観る側の温度で生きも死にもする。
そのほかには、
- 上白石萌音:ランキングで若手実力派の上位常連。
- 梅田彩佳:元アイドル出身で舞台経験を重ねている。
- 生田絵梨花:歌・演技両面で才能のある人。
- 木下晴香:ランキングに名前が出ることがある。
- 唯月ふうか:若手実力派ランキングに顔を出すことがある。
しかしながら、冷静に見つめるとまだ本物ではないのも確か。これから注目して見守って行きたい。
観客の責任
ミュージカルという芸術は、観客がいて初めて「生きる」。私たちはいつの間にか“安全な感動”を選ぶようになってしまった。だが、本当に心を動かされた瞬間は、予測できなかった出会いではなかったか。
新妻聖子や笹本玲奈、堀内敬子を初めて見たとき、私は時間の感覚を失った。知らなかった名前が、たった一曲で一生残る印象を刻んだ。それが「舞台の奇跡」だった。
私たちが「新しい才能」を信じて舞台を観に行くこと。それこそが、次の世代を育てる“文化的投資”になる。観客がリスクを取らなければ、制作も挑戦できない。私たち自身が熱を取り戻す必要がある。
そのほかの懸念点
私は素人なので本当に申し訳ないのですが、最近の日本ミュージカルは海外作品に依存しているように見えます。
日本独自のヒット作がなかなか生まれないのは、構造的な課題なのかもしれません。
そしてもう一つ、男性俳優についても課題を感じています。歌唱力で心を震わせる俳優がいない。
これは私の耳が鈍いだけかもしれませんが、そう感じてしまうのです。
ぜひこの点についても、専門家や業界の方々の意見を聞いてみたいです。どうしたらいいのかも分からない。
私の小さな願い
私は音楽をやってきた。売れなかったし、夢は叶わなかった。でも今でも覚えている。ライブハウスのステージで、観客と自分の心拍が同期する瞬間があった。あれは、どんな数字にも代えがたい「生きている実感」だった。
だからこそ、私はミュージカルの舞台で、それと同じ震えを感じた。新妻聖子の声、笹本玲奈の芝居、堀内敬子の息づかい。彼女たちは生きるために表現していた。それは音楽をやめた自分にとって、救いだった。
けれど、その火が少しずつ小さくなっている気がする。誰もが整っているが、命を削って歌う人が減っている。それでも私は、まだ信じたい。声には魂が宿る。たった一人の声が何百人もの心を動かす。その力を、私は彼女たちの世代に教わった。
これからも、私は舞台やミュージカルを見守って行きたいと思う。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
私は素人ですので、もしこの想いに少しでも共感してくださった方、ぜひコメントやSNSであなたの考えや、おすすめを教えてください。
新しい声を、一緒に探していきたいです。
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