柔らかな微笑みの奥に、強い覚悟が宿る。
芳根京子、6年ぶりの舞台。彼女が今、静かに、けれど確かな歩みで“演劇”という場所に戻ってきた。
演目は、昭和の名監督・小津安二郎の世界にオマージュを捧げた舞台『先生の背中~ある映画監督の幻影的回想録~』。主演は中井貴一。演出は映画界の鬼才・行定勲。そして、芳根はこの世界に「幸子」という女性として息づくことになる。
この舞台には、彼女にとって“挑戦”と“安心”という、相反するようでいて実は共鳴する2つの感情が交差していた──。
「挑戦することを選んだ」芳根京子の決意
ドラマや映画での活躍が続く中、舞台に立つことは芳根にとって決して“慣れた道”ではない。
それでも彼女は、ふたたび舞台に身を置く選択をした。
そこには、「まだ自分が舞台を得意かどうか分からない」という、率直で真摯な感覚があった。だからこそ挑む価値があると、心のどこかで確信していたのかもしれない。
舞台は一度やったら終わりではない。稽古、本番、反応、日々変わっていく演技、空気、感情。そのすべてが俳優の血肉になる。芳根にとって、この舞台は「演技者としての地力」を養う格好の場だった。
昭和という時代に生きる、明るい“幸子”という存在
彼女が演じるのは、昭和の映画監督・小田を取り巻く5人の女性のうちの一人、“幸子”。
快活で芯のある女性像だという。
昭和の空気感、言葉遣い、所作。現代とは異なるテンポの中で、芳根は「生きる人物」を構築しようとしている。
今クールで出演しているドラマ『波うららかに、めおと日和』でも同時期に昭和を演じている彼女。まさに2025年前半、彼女は“令和”を抜け出し、“昭和”という時間の中に生きている。
「安心できる人がいる」─再会の喜びと支え合いの関係性
今回の舞台出演を後押ししたのは、かつて共演したキムラ緑子の存在だった。
前回の舞台でも親子役として共演し、「怖い母」として対峙したキムラ緑子。だがその関係は、いまや女優として信頼し合える“家族”のようなものだという。
安心できる人がいること。これは、挑戦の場に飛び込むうえでの“着地点”になる。
また、主演の中井貴一の存在も大きい。舞台上での絡みも多く、重厚な演技力に対峙する緊張と期待は、彼女にとって確実に成長を促すものになるだろう。
変化を楽しむ─南部鉄器のように、じわじわと染み込んでいく経験
私生活では、今「南部鉄器」にハマっているという芳根。
使い込むほどに味が出て、色が変わるその器に、自身の“舞台との向き合い方”を重ねているのかもしれない。
即座に完成されるものではなく、日々の積み重ねの中で形になっていく“変化”を、彼女は受け入れ、楽しもうとしている。
仲間がいるから、踏み出せる─20代後半の支えとは
仕事が忙しくなるほど、自分と向き合う時間は限られる。
そんな中、彼女の心の支えとなっているのは“友人たち”の存在だ。
ちょっとした時間でも会おうと声をかけてくれる仲間たち。
互いに競い合う関係ではなく、支え合う存在になれたこと。それは20代後半に入った彼女が得た、大きな財産だ。
「この1〜2年、友達に支えられてるな」──彼女の中で、その実感は確かなものになっている。
■ 結びに──“安心の中の挑戦”を、丁寧に積み重ねて
舞台『先生の背中』は、ただの舞台復帰ではない。
それは、安心できる人に囲まれながら、自らの未知に足を踏み入れる“再挑戦の場”でもある。
芳根京子という俳優は、器用にこなすタイプではないかもしれない。
だがだからこそ、一歩一歩積み上げる姿に、見る者は心を動かされる。
この舞台が、彼女にどんな変化をもたらすのか。
そのすべてを見届けたいと思わせるだけの「静かな情熱」が、今ここに確かに息づいている。
🎭 舞台『先生の背中』の世界観と注目ポイント
演出家・行定勲が描く“小津安二郎へのオマージュ”
本作は小津監督の世界観をモチーフにしたフィクション。セリフや間の取り方など、どこか“静けさ”を感じさせる演出が特徴。
美術・衣装なども昭和文化へのリスペクトにあふれており、舞台ながら“映画のような質感”が体感できる構成に。
中井貴一演じる“監督・小田”を取り巻く女性たちの視点
本作は男性主導の視点ではなく、周囲の女性たちが持つ記憶と視線によって“ひとりの男の人生”を描き出す構造。
多面的に“記憶”をたどる演出により、現実と幻想が交錯する舞台ならではの深みが生まれる。
ベテラン俳優との呼吸感こそ、観る価値
舞台では瞬間の呼吸、視線の交差が物語を生む。若手の芳根が、どのように空間と共演者と向き合っていくのか、演劇ファンならずとも注目したいポイントだ。